今月体験談 > 「明るいくらしへ」本文 > 娘と担任の先生と私
R.M
(横浜
)
私には三人の子供がいますが、五年生の娘のことで自分自身を見つめ直す機会を頂きました。
娘は背が高くて目立つせいか授業中に話をしていると「野瀬さんまた話してる」と注意されたり、ノートの隅に絵をかいていた時も娘だけ注意されたそうです。
初めは娘のグチをあまり気にとめず「もっと叱られていらっしゃい」と言っていましたが、些細な事でよく叱るなぁ、だから子供に人気がないのかなと思っていました。
ホームルームで「あなたたちは家でいい子でいるから学校でうるさくしてストレスを発散しているのね」と生徒たちに言われたそうです。
親の前では「ぶりっ子」をしているように言ってと、私の方が先生に不満を抱き、娘と先生の間が心配になってきました。
懇談会の時、先生はクラスがやかましくて、てん
てこ舞いしている様子を長々と話された後「野瀬さんでしたね」と言われました。私は「娘が何か?」とドキッとしました。
すると「髪を何色に染めたら恋人募集中で、何色だったら恋人がいるんだって」と、娘が雑誌に書いてあった話をした、という話をされました。そして「野瀬さん、この詞を知ってますか」と言われました。「また何か…」と私は帰りたい気持ちでした。
その詞は道徳の授業で使われたそうですが、「この歌は野瀬さんが歌ってくれました」と言われるのです。みんなの前でいろんなことを知っているませた子のように言われ、私は「名指しはないんじゃないの」と、ムッときました。
「先生はうちの娘を悪い子だと決めつけている、こんな関係が続いたらイヤだな」と思いました。
懇談会が終わって家に帰ってからも気持ちが収まりません。そんな自分を見つめているうちに、この先生になってから娘も私も不満が多いことに気が付きました。
こんなに不満を思ったり心配したりさせられたりする相手と出会ったのは、これも「みしらせ」だと思って、御替象願いをしました。
御替象願いをして気持ちが落ち着くと、こんな時は友人に相談するのがいいと思い付き、何人かに電話をして話しました。みんな子供と先生との軋轢を経験していて、話を聞いているうちに「この先生でよかったのかもしれない」と思えてきました。
数時間前には心配し、腹を立てていた私でしたが、気持ちをすっかり変えることができて大変うれしく思い、御替象願いの有り難さをしみじみ感じました。
数日後「みおしえ」願いのため教堂へ行くと、「よく叱られるのは信用されているからです。すぐ動揺する子はなかなか叱れませんから…。髪の話をしたり先生の前で歌ったりできるのは、良い関係だからでしょう」「懇談会で名前を出されたのも親しく思っておられるからではないですか」と、教堂の先生が話してくださいました。
イヤな出来事だったことが逆にうれしいことに思
えてきて、気持ちが一層楽になりました。
その後下付していただいた「みおしえ」で「好き嫌いの激しい自分の心癖」や、「自分の気に合うものを良しとし、反するものを悪として狭い心の自分であったこと」「子供たちの言動まで狭い心で見ていたこと」など教えていただきました。
このことでふと、娘が五年生になってからのことを振り返ると、この先生になってのびのびと明るくやらせていただいているような気がしてきました。
自分の物差しを外していろんな方向から物事を見ながら、「子育てをする」という思いではなく、「子供と共に私も育っていく」という気持ちで生活していきたいと思いました。