今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成18年版 7日

 嫌いな相手がいるのではない見方
 の偏った自分がいるのである

 ホヤという海産物があります。初めてこれを食べた時は思わず体が引けました。好きな人にとってはこの上ない珍味だそうですが、口に入れると強烈な磯のにおいがして、のみこめたものではありません。
 ところが一緒に食べた友人は、このホヤを自宅に送ってほしいがどうすればよいか、と店の人に尋ねています。私には人が食べるものとは思えない変なものを「取り寄せたい」という言葉に驚きました。
 私は納豆も苦手です。こんな臭い物のどこがおいしいのかと思っていましたが、朝食には納豆が欠かせないという人がいます。ホヤや納豆をおいしいという言葉を聞いて、自分はそんなに好き嫌いはないと思っていたけれど、違うのかもしれないと思いました。


        ◎
 自分の口に合わないからと言って、その食べ物が変なものであるということではありません。自分が嫌っているというだけのことなのですが、ホヤや納豆を目の前にすると「これは変な食べ物だ」という気持ちが先立ってしまいます。
 考えてみると、人を見るときも同じような気持ちが働いていることがあります。「あの人はいやな人だ」という目で人を見ていることがあるのです。ところが、その人のことをみんながそういう目で見ているのかというと、そうでもないのです。
 ホヤや納豆と人を一緒にするわけではありませんが、変だとかいやだとか思えると、手を付けることも受け入れることも拒絶したくなるのは当たり前のことだと思っていました。しかしそれは自分のものの見方に偏りがあって、相手を好き嫌いしているというだけのことだと思います。
 だれにも多少の好き嫌いはあります。でもそれを相手や対象となる物のせいにしていたのでは、新しいものに触れたり、苦手を克服したりすることはで


きません。
 いやだ嫌いだと思えるものと出会った時は、自分の心を広く豊かなものにするチャンスです。狭い気持ちに閉じこもっていないで自分から変わっていきたいと思います。




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