今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成16年版12日

反省には事実をありのままに
 見つめる勇気が必要である


 交差点で自動車同士が出会い頭に接触して、お互いホッとした表情をしていたと思ったら、車から出てきたとたんに双方が相手の不注意をののしり合いだした、という場面に出くわしたことがありました。
 車に受けた損傷をどちらが補償するか、という問題を考えたらそうせざるを得なかったのか、あるいは怖い目に遭わせられたことに腹を立ててのことか、ともかく責任は相手にあるということを認めさせようと一歩も譲らない様子でした。端から見ていると不注意はどちらにもあったと思えるのに、自分のことは振り返ろうともしません。
 当て逃げやひき逃げだけでなく、人の目に付かなければ知らぬふりをしたり、責任を他人に押しつけたりする風潮が色々な所で強くなっていますが、さ


みしい限りです。
 ところで、責任を逃れたからと言ってそれで済むものでしょうか。「天網恢々疎にして漏らさず(神様の目は粗いように見えて、どんな事も漏らさない)」と言いますが、事故や失敗を人のせいにして逃れていたら、自分は注意力が散漫であることを十分認識することができず、再び失敗をする危険を自ら抱えてしまいます。これは大きな「罰」です。
 例えば、衝突する直前に考え事をしていたのであれば、それが仕事のことであれ私的なことであれ、気がかりなことがあると、ついそれにとらわれてしまう自分である、という自分の実態をはっきり認めなければ、考え事に陥ることの危険を認識できません。
考え事の中身が人に知られたくないような事柄であっても、自分はこんな事に気持ちを引かれていた、とはっきり認めることです。
 人は痛い目に遭ってはじめて「自分の生き方を変えなければ」と反省しますが、失敗しても言い訳をして逃れている間は本当の痛みを知らないので、失


敗の原因も自分の中身もはっきり知ろうとはしていないのです。
 至らない恥ずかしいことであっても、その事実をはっきり認める勇気を持ちましょう。そこから失敗を克服することができるのであり、同じ失敗を繰り返さない、しっかりした生き方ができるようになっていくのです。




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