今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成16年版26日
叱られることを避けていると
学ぶべき時を逸してしまう
失敗をして上司に叱られたことがありました。二度と失敗しないよう自分を戒めたつもりでしたが、その気持ちはいつの間にか「叱られないようにしよう」ということに変わっていきました。そうすると上司の前で緊張したり、いらぬ気を使ったり、あせったりするようになりました。そして同じ失敗をしてしまい「前に注意したことを理解していない」と再び叱られてしまいました。
叱られないようにと意識することでかえって目の前のことが疎かになって、同じ失敗を繰り返してしまったのです。
人は叱られたときどういう気持ちになるでしょう。心からその通りだと反省できる場合はよいのですが、中には条件や環境のせいにしたり、厳しすぎると反発したり、相手の短所を見つけて逆に批判した
りして、小さな自尊心を満足させる場合もあるようです。
こんなことでは、なぜ叱られることになったのか本当のところは理解できなくなります。自分のどこが至らなかったのか、失敗してどんな迷惑を掛けたのかは、叱られた言葉をきちんと受け止めてこそ分かるのです。
叱られたのは自分が気付くべきこと、改めるべきところがあるからです。つまり自分に足らないものを学ぶときなのですから、その内容にきちんと向き合わなければなりません。そして叱られた時がそのことを学ぶ最も良い時だと意識しなければなりません。
年齢を重ね立場が付いてくると、自分の至らないところを率直に指摘してくれる人はいなくなります。叱られることを通して視野を広げ、自分の至らなさを具体的に知ることができるのは、若い時をおいてないのです。
ですから叱られたことを有り難いと思うことから始めましょう。たとえそれが感情的な批判であって
も、素直に聞こうと努め、その言葉をしっかり心に刻んでいきましょう。
また、叱られてうなだれていると、叱っている方は何とか理解させようと一層力が入ります。「叱られるうちが花」と言いますが、期待されているからこそ叱られるのだと思って、素直かつ積極的な姿勢で事実と自己を見極める努力をしていきたいものです。