今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成16年版29日
譲り合えば楽しい人生を 我を
張り合って住みにくくしている
このごろの地下鉄の座席は自動車のようにくぼみが付けられています。なにもここまで豪華にしなくても…と思うのですが、あれは乗客がぶしつけな座り方をしたり、ひとり分以上を占拠することのないように、というのが本音だと聞きました。
そこまでする必要があるのかと思っていましたが、ある日地下鉄に乗ると、そうなっているのに混み合った車内で二人の仲間で三つ分も席を使っている人がありました。なんという人だと思いましたが、席を詰めてくださいとも言えず、腹を立てていました。「こんな人がいるからだ」とブツブツ思っているとき、ふとそんな自分の姿が見えた気がしました。座席を占拠している人を心の中で責め立てている自分はどうなのだろう。
その時かつて見たこの標語が思い浮かびました。
一言「席を譲ってほしい」と言えばすむものを、相手を責めるばかりで言わないのも、我を張っているということではないのか。そう気が付くと気持ちが少し楽になって「すみません少し詰めていただけませんか」と、普通に言うことができました。
「あら、気が付かなくてすみません」と快く席を譲っていただいて「ありがとうございます」と言いましたが、申し訳ありませんという気持ちがしてなりませんでした。
どちらが悪いということを煎じ詰めれば、答えは出るかも知れませんが、それでは良い結果は得られません。言い争って席を詰めさせても、相手も自分も心安らかに座っていることはできなかったでしょう。
職場でも、ご近所同士でも、夫婦や家族の間でも、形に表れたことから相手が意地悪だと思いこんで、腹を立てたりいがみ合ったりすることがありますが、それは相手の都合や気持ちを考えず、自分に譲る気持ちがないからだと思いますが、どうでしょう。
相手にも譲る気持ちはあるのです。こちらも心にゆとりを持って、気持ちを切り替えて、声を掛けるタイミングをはかりましょう。