今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成15年版19日
物事を嫌う心は
自分を狭く 限って暮らす心である
好き嫌いはだれもが持っている感情ですが、多くの場合「好き嫌いがあるのは人間として当たり前のことだ」と、さほど問題にしていないというのが普通だと思います。
しかし、問題視しなくてもよいようなことではない、というのがこの標語の視点です。
この仕事は嫌いだけれどやれば人に負けないくらいはできるというようなことはあるでしょうか。大概は嫌いな事は避けようとしたり、やらないで済むならそう願いたいと思っているものです。
現実の仕事の場ではやらないで済むようなことはなく、嫌だと思いつつやることになっていますが、
そのとき費やす無駄なエネルギーと、周りに振りまくイヤな雰囲気には相当のものがあります。
その上嫌いだと思う気持ちをこらえている分、つまり無駄なエネルギーを使っている分だけ、必要な所や注意すべき所や、ていねいにやるべき所に力を注げなくなっています。嫌いだと思う事に失敗が多くなるについては、こうした事情があるはずです。
また嫌っている事柄を心の中で「苦手」と置き換えてはいないでしょうか。これは物事を嫌うという自分勝手な思いに傾いていることを、自分自身にさえごまかしているのです。
苦手な事や苦手な人から遠ざかって、得意な事や気持ちの合う人しか身辺に近づけないようなことをしていると、だんだんと世間が狭くなってしまうのは当然です。
何でもできるようになる必要はないでしょうが、できない原因が物事を嫌うという気持ちにあるとしたら、自分からできなくしてしまったということになります。
これは他人の目には、気に入った事しかしない、特定の人しか近づけようとしないと映ります。
物事を嫌うについては色々と理由がつくことがありますが、本当は理由などありません。特定の物事や人を「嫌う」という気持ちを、心の中に色濃く持っていることが、嫌ってしまう唯一の原因です。
これは多くの人が持っている心の癖ですが、自分にもこの癖があると気が付いたら、そんな自分を素直に認めましょう。そこから狭い心を脱して、広くおおらかな心で生きていく道が開けてきます。