今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成15年版22日
不平は自分だけの都合を考えて
いるところに生まれてくる
不平不満を抱えている人は世の中に大勢あると思いますが、そのために費やされている無駄なエネルギーはどれほどのものでしょう。
そのエネルギーを前向きに振り替えることができたら、その人自身の毎日の暮らしも、ときには人生までもが大きく変わっていくことでしょう。そして、その人の周りにいる人たちの気持ちも、職場や家庭などあらゆる人の集まりも、ずいぶん明るくなっていくことは目に見えています。
ところが不平を思わなくするということは、「思わないようにする」という、がまんや努力では、決して乗り越えられるものではありません。
むしろ、がまんすればするほど、心の奥の方にその思いが沈み込んでいって、さらにエネルギーを強くしたり、不平の中身をゆがめてやたらと正義ぶったり、変に批判精神を高めて皮肉っぽい物言いをしたりするようになっていったりします。
人は心が未熟な間は、自分の思いや自分の立場からものを見たり考えたりするものです。それは自分の悲しみや怒りの底に、どんな思いがあるかを確かめてみるとよく分かります。
「自分の思いをちっとも分かってくれない」とか「私の立場を少しも考えてくれない」というような思いが、怒りや悲しみの底にあるときは、決してその感情にかられて行動をしてはなりません。
分かってくれないのではなくて、そうせざるを得ない事情があって、個人の感情や立場を汲み取っていられないのであって、ことさらに無視されているわけではないのです。
そういう事情が納得できるようになれば、不平不満を捨てることができるのであり、これが、自分の都合や気持ちを離れて、物事を大所高所から公平に見るということなのです。
不平は、自分だけが不当な扱いを受けているという思いが元となって出てくる感情ですが、不当な扱いかどうかを判定する基準は、往々にして自分を中心に物事や他人を見る狭い心にあるものです。
自分の都合を離れることができてはじめて、不平不満の感情を去って、理性と愛情を元に判断や行動ができるようになっていくのです。