今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成15年版27日
苦手と思う心がすぐにできる
事もできなくする
何か物事をするにあたって、それが得意なことの場合は特に何も思わないでやり始めることができるのですが、ちょっとでも「これは苦手だ」という気持ちになったときには、色々な思いが出てきてなかなか手を着けることができません。
人それぞれ得意とすることもあれば、不得意だとか苦手だと思うことがあるものです。そして、何か苦手と思うことに出くわすと、やらずに過ごせるものならなんとかそうしたい、という思いになってしまったりします。
しかし、今やらずに通り過ごすことができたとしても、またいずれの日にか同じようなことが巡ってくるということは、現実の生活の中でしばしばあり
ます。
こんなことでいつまでも「悩みの種」を抱えているのは、考えてみればまことに愚かなことかも知れません。思い切って手を出してみれば、たとえわずかでも体験を積むことができるし、何がどう難しいのか、どこをどうすればよいのか、やっただけは知恵を授かることができるのです。
「苦手」という思いを「まだやったことがない」という気持ちに置き換えることはできないものでしょうか。
まだやったことがないという気持ちは「だからやりたくない」という思いに結びつけがちですが、この二つの言葉の間には、何の関係もないのです。ましてそれを「苦手」だと判定してしまうこととは、もっともっと関係が薄いと言わなければなりません。
ところが、私たちにはその無理筋の理屈を当然のことのように受け止めてしまうところがあるのです。
まだやったことがないけど「どんなことだろう」とか「いい機会だからやってみよう」と思うこともできるのであり、その方が普通であり健全であると思うのです。
苦手だという思いは、自分でそう仕向けているのであって、わざわざ自分の可能性を狭めようとしているということなのです。
苦手だと思った時は、自分の感情や狭い考えに自分自身が邪魔をされていると気が付いて、ひとつ深呼吸をして気持ちを新たにして、目の前のことを見直していきましょう。