今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成14年版14日
自分の都合を離れなければ
迷いのない判断はできない
にわかづくりの素人劇団は配役を決めるのが大変なのだそうです。お芝居をやりたいというほどの人は、当然のことながら表現意欲を強く持ち、自分を出したいという気持ちにも強いものがあります。
これが「自分を目立たせたい」という気持ちになってしまうのか、主役をやりたい人が多く出て、折り合いをつけるのがなかなか大変だというのです。
「自分が…」という気持ちは、だれにもあります。そういう自負心や自尊心は、難しい仕事に立ち向かう勇気や、成し遂げるまで頑張る責任感の源泉ともなるものですが、いかに尊い働きをするものではあっても、自負心や自尊心は、自分の心の中に留めておくべきものであると思います。
この標語で「自分の都合を離れなければ」と言っていますが「都合」は単なる欲心や人と競う気持ちから出ることもあるでしょうが、その人の信条や意欲からのものもあります。
欲心や競争心なら批判にさらされたり忠告によって取り下げもするでしょうが、信条から出たものはなかなかそうはいきません。
ところが信条や意欲と単なる欲心や競争心はそう簡単に分けられるものではなく、信条が競争心と結びつくことはしばしばあります。信条や意欲といっても一歩間違うと「我」を立てているのと違わないことになる場合が多いのです。
むしろ、しっかり心に持っているだけに、それに固執した場合、始末が付かなくなったりするものです。
引くべきか進むべきか、自分の思いに固執していたのでは「判断」を忘れて強引に突き進むしかできなくなります。
自分の信条は大事ですが、順調に事を進めて良いものをつくり出すことを目的としている場合は、一時置いておかなければなりません。ましてそれが競争心や欲心を併せ持っているような場合は、単に自分の都合を押し立てることになっているのです。
全体を見通す広い心と、損得にとらわれないで物事を見る無欲な心によって、より良い判断力が得られますが、人間は自分の都合にとらわれやすいことを心から知っていてこそ、この知恵を生かすことができるのです。