今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成13年版 7日

言い訳する心に反省はなく反省
  のないところに向上はない


 うっかりミスをしたり、自分の思い違いのために人に迷惑を掛けたり、いやな思いをさせてしまうということは、毎日の生活や仕事の中でしばしば起こりますが、そんなとき私たちはどのようにしているでしょう。

 日本人は失敗や間違いを犯したとき隠そうとする習性がある、と思わせられるような事件や事故がしばしば起こります。

 重要な責務を負っている人たちが、こそこそ隠したり、ごまかしをしたりしていると思うと、暗澹たる気持ちになります。隠し事はいずれ明るみに出て、失敗や間違いを犯した上にごまかしまでして「無責任で卑劣だ」という消しがたい汚名を被ることに


なることはよくよく分かっているはずなのに、なぜそんなことをしてしまうのでしょう。

 自分が属している組織全体のことを考えたら「そうせざるを得なかった」というのは、大きな思い違いであり、ごまかしです。組織のためというのは組織を私物視しているからそう思うのであり、全ての組織は社会全体のためにあるという大前提を忘れた尊大な気持ちになっていると、こういうとんでもない言い訳をしてしまうことになります。

 こんな大きな問題ではなくても、言い訳というものには、失敗や、ミスや、いい加減な処置をして「多くの人に迷惑を掛けた」という、自分が今置かれている立場を忘れている場合が多いと思います。

 物事をありのままに見ないで、失敗の原因になった自分の考えや行動や心情を把握することはできません。事実を掴まえることができないままでは、何をどう改めるか方策の立てようがありません。言い


訳は、人の目をごまかすよりは、自分の目を自分で塞ぎ、自分自身のことなのに、当事者である自分だけがその事実をねじ曲げて認識することになってしまう場合が多いのです。

 私たちの心は事実を有るがままに知るというところから成長が始まります。そして事実を有るがままに知ることがいかに難しく有り難いことか、少しでもそういう努力をしたことがある人は知っています。起きてきた事はしっかり見つめ、受け入れていきましょう。




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