今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成13年版14日
利害のために生き方を変えていると
利害によって行き詰まる
人間はだれもが世の中の大勢の人とのつながりの中で生きており、自然にお互いが助け合いながら暮らしています。
そして支え合い助け合わなければ成り立っていかないというのが、人間社会のありようです。
だから自分中心の考えを排し、周りと助け合って生きるという自覚に立てば、周囲との関係が円滑に運び、信用という無形の財産を得ていくことができます。
このように世の中が成り立っていることを無視して、自分中心の思いで目先の利害を追いかけていると、周りに迷惑を掛けるばかりで、個人の場合だと
人から相手にされなくなり、企業がこのような性向を持つと、いつか業績を上げられなくなってしまいます。
何事をするときも目前のことに動揺せず、この道理をしっかり心に持っていくことが大切であることは言うまでもありません。
しかし、やってはならない事をやったり、当然すべき事を怠ったり、守るべき規範を犯したあげく、事故や不祥事を起こした事例がしばしば報じられます。
信念どころか自分が守るべき規範まで疎かにするについては色々な事情があるのでしょうが、結局は目先の利害に惑ったということではないでしょうか。
とは言ってもこのような場合、利害のために生き方を変えるという意識もなく、苦境を乗り切るため
に仕方なくそういう道を選んだ、というのがほとんどかも知れません。
よほどの利己主義者か悪人でもない限り、はなから利害のために生き方をころころ変えるということはないでしょう。
しかし、まじめに生きようと努めている人でも「周りの状況から」仕方なく信念を曲げて保身に走り、大勢に従ってしまうことがあります。
そんな時に、苦境を乗り切るためだったとか、周りのせいだというような言い訳をしていると、次々と大事なものを曲げていかなければならなくなり、やがては方策が尽きて行き詰まってしまいます。
周りと助け合い、周りを大事にして物事を円滑に進めていける生き方をするために、ふだんから勇気とねばり強さを養って、目先の利害に惑わないようにしたいものです。