今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成13年版17日
できないという決めつけが
できる可能性の芽を摘んでいる
人から何か頼まれたりしたときに、まず自分にできるかできないかを考えます。そして頭の中で予想して可能性を探り、できるにしても、どの程度努力すればできるかを考えます。
また人に頼む場合でも、彼ならばと思う人に頼みます。
ある中学生が学校の水泳大会でリレーの選手に選ばれました。種目は背泳ですが、彼は背泳は苦手でした。しかし、みんな背泳はやりたくなくて自分が選ばれたというのです。
水泳大会後に結果を聞くと彼のクラスは優勝したということでした。ちゃんと泳げたかと聞くと、途
中で足をついてしまったが無事に完泳できた、ということでした。
最近ピアノを習い始めたばかりの女生徒が学校の合唱コンクールでピアノ伴奏をすることになりました。クラスにはピアノを習っているもっと上手な子がいるだろう、と言うと、「皆が自分がいいと言って選んでくれたんだから」と答えました。それから毎日練習していましたが、コンクールの前日になっても間違ったり詰まったりしていました。
「断ればよかったのに」と言うと「できるかできないかは、やってみないと分からない」ときっぱり答えました。私なら絶対に引き受けないだろうと思って見ておりましたが、コンクールの後、ニコニコしながら間違わずにできたとうれしそうにしていました。
「やってみないと分からない」という言葉に改めて考えさせられました。
できないからと断るとき、皆に迷惑をかけてはいけないという思いから、そのように判断しています。
しかし、皆のことを考えてと言いながら、実は自分が恥をかくのが嫌だとか、練習が面倒だとか、努力するのが大変だという思いが大きく働いているのではないでしょうか。自分の体面や、努力が大変だという思いのために、萎縮して「できない」と決めつけているのではないでしょうか。
自分の目の前に起こってきたことで、自分にできないと決まったことはない、とよく言われますが「やってみなければ分からない、やってみよう」はっきり心を決めれば可能性の芽を育てることができるのです。