今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成11年版11日
人を尊ぶ心が乏しいと忠告
ではなく押しつけになる
私たちはふだん何か相手に差し障りのあることを言うときに「人を尊ぶ」ということを意識しているでしょうか。「忠告」というと相手の非を指摘しているわけですから、尊ぶという心から離れているかもしれません。ややもすると自分の思い通りに変えさせたい、やらせたいという思いで注意していることが多いのではないでしょうか。
よく「相手の立場に立って」と言いますが、相手の立場に立つということは非常に難しく、相手の立場に立ってみるとかえって言えなくなることもあります。忠告をするときは相手の立場に立つうんぬんよりも、言うべきことをあっさり言う、ということが一番大事です。
あっさり言うということは、実は大変難しいことかもしれません。しかしそんなときは、こんなことを言ったら相手が傷つくのではないか、腹を立てるのではないか、などという思いをしていると思います。
自分の発言を相手がどのように受け取るかということを考えることが、実は一番の問題なのです。これは一見、相手の気持ちを考えているようですが、相手を尊ぶのとは程遠い、自分の基準で相手を見ていることになるからです。
しかも、いったんそういう基準で相手を見てしまうと、その枠でしか相手を見ることができなくなり、あの人は何度言っても聞かない人だ決めつけてしまうことにもなります。
人を尊ぶということは、対象とする相手の人格を尊重し、判断基準を任せることなのです。自分とし
てはこう思う、こうではないかということを相手に示し、後の受け取り方や、そのようにするか、しないかは相手に任すのが人を尊ぶ心ではないでしょうか。
このような姿勢で忠告すれば、相手に自分の意見を分からせようという気負いもなく、あっさり言うべきことを言って、くどくどと言いすぎることもないでしょう。相手に分からせようとすると、どうしても言い過ぎてしまいます。
「私はこう思いますが、後はあなたの判断に任せます」と言えば、感情的にならず、自然なやり取りができるのです。