今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成11年版15日

 人の不満を思っているときは自分
 の手元が疎かになっている

 いくら思っても何にもならないのに、ついつい現状の不満を思ってしまっていることがあります。

 気が付いたら打ち消すのだけれど、何か自分の気持ちとズレたことを言われたりすると、面白くない思いにとらわれてしまうのです。仕事や人間関係に疲れてくると、いつの間にか前向きの意欲が衰えて、不満や腹立ちという「脇見」をするような気持ちが顔をのぞかせてくるようです。

 脇見運転はそのまま事故につながるように、仕事中に「脇見」をするような気持ちは、重大な失敗を引き起こす元凶となります。

 ところが、このような状態で事故や失敗を引き起こした時に、脇見をしていたこと自体は反省できて


も、何にとらわれて脇見をすることになったのか、その「不満」の中身まではなかなか見ようとしないものです。

 人の不満は思ってもしかたがないことで、不満に思う中身を相手に告げて相手の態度の変化を待つとか、自分で不満の思いを切り捨てていくとか、自分自身が変わっていくしかありません。

 しかし、不満の思いというものは、どこがジメッとしたところがあって、自分の心の中のことながら見たくないものです。それでいつまでも「アイツが悪い」という思いをため込んでしまっていることが多いのではないでしょうか。しかも、これはかなり心の重荷になっているのです。

 重荷だからこそ、それにとらわれてしまうのであり、自分では「ふと、不満にとらわれている」という程度に思っていても、実は、「全身全霊を傾けて」不満を思っているのかも知れません。



 周りの不満を思っているその時には、知らない間に手元が疎かになってしまっていることを思うと、「ふと」どころか、足元も定かでないような事態になっているのかも知れません。慣れた仕事にミスが出たり、公平を欠いて判断を狂わせたり、大小の失敗を引き起こしてしまうことを思えば、人に対する不満は小さな気の迷いとは言えません。

 脇見をしていることに気付いたその時こそ、勇気をもって不満を切り捨てていく、絶好の機会に巡り会っているのです。




〒545-0043 大阪市阿倍野区松虫通1丁目2-27
サイトマップ
Copyright ©shizensha All Rights Reserved. 無断転載禁止