今月の言葉 > 「標語解説書」から > 平成11年版19日
立場を全うしようとする生き方が
困難を打開する力となる
日々の生活で人が何かを言ったり、したりするとき、本人が自覚しているといないとに関係なく、人は必ず何らかの立場に立っています。そしてその立場が高いほど、それだけ責任も苦労も大きくなり、時には立場や苦労に耐えられず挫けてしまうこともあります。そのようなとき、人はどのように生きていけばよいのでしょうか。私の子供が教わった先生を例に挙げてみます。
新学期が始まった日に、学校から帰ってきた子供が学級だよりを見せにきました。それは、先生から子供たちへのメッセージがイラストと共に載せられた、手書きの文字をコピー印刷した手作りのものでした。子供が言うには、先生が一人で作られたもので、これから休日以外は毎日発行すると約束されたそうです。帰ってすぐに見せにきたくらいですから
、子供はきっとうれしかったのでしょうが、私には先生のご苦労が思われたのでした。
そして一年間、約束通り学級だよりは出し続けられました。毎日顔を合わせている子供たちへの文章だから続けられるのだと言ってしまえばそれまでですが、そのような取り組み方をされた担任は、他にはおられませんでした。あの学級だよりの発行は、なま易しい努力ではなかったはずです。
この先生が他の人にはできないことを続けられたのは、受け持った児童たちへの愛情からであり、人一倍の情熱が元になっていたに違いありません。それもこれも子供の心を育てる教師という立場を強く意識しておられたからではないでしょうか。
このように自分がやらねばならないという義務感は、一方ではその意識が強すぎるとプレッシャーとなってストレスをためることになったりします。しかし、自分の立場に対する意識を高めることは、努
力や向上へのバネにしていけるのです。
立場を全うすることは、なまなかなことではありません。しかし誰もが立場を頂き、立場によって生きています。これを全うすることを義務にとどめないで、生き甲斐の発生源として見つめて、自分の真価が発揮できるようになっていきたいものです。