今月の言葉 > 自然誌 文章から > 令和 7年 1月号 真理の展望

変わりたいなら
橋本のり子


 長年信仰してきて自分が変わっていきたいと願いながらも、なかなか変わっていけないなあ、と感じている人は多いと思います。この私自身も、息子たちや嫁たちに迷惑をかけてばかりで、分かっているつもりでいても、気が付くより先に自我が出てきてしまいます。意地があって周りの言うことを聞かず、自分の今日までやってきた通りをやりたいという己を立ててしまいます。相手の立場を理解しないで、自分が思いやっているつもりで一方的な押し付けをしてしまったりもします。そこに少し気が付きだして、もう一回信仰のやり直しをしたいと思っているのです。
 いくら思ってもどうにもならないことにいつまでもしつこくこだわって、気分がよくならず、そういう自分自身に対しても腹を立てたり悲しんだり、そ


ういう自分を変えていきたいという気持ちを皆さんも持っておられると思います。また家族や周囲の状態がよりよく変わってもらうためにも、自分が変わりたいと願っておられる方もあることでしょう。
 そこで人間が変わるには何が必要かをここで記したいと思います。
霊魂の永遠を信じる
 まず初めに最も大切なことは、心の中に自分の霊魂の永遠を信じることです。人間は死んだら終わりでないことを一応分かっていると思います。これを本当に心の底から信じ切ることが大切なのです。
 もし人間が死んでそれで終わりでしたら、苦労して自分が変わっていく必要はありません。なるべく楽をしながら苦労は避けて生きていればいいでしょう。しかし人間は死んでも決して終わらず幽界に進んでいって、また精進の続きを行っていきます。そして少しずつ神様に近付いていくことになるのです。
 教祖様でさえも亡くなられて三十数年間は霊界での精進に励まれ積まれて、神の世界に入られました


。私たちはとてもそんなものではなく、何度も生まれ変わって、少しずつ進んでいくことになります。しかしたとえ未熟ではあっても、せめて幽界の中で子孫の幸せのために働ける御(み)霊(たま)となるように、少しでも上へ行きたいものです。子孫を惑わすような御霊にだけはなりたくありません。
 このように人間とは霊魂が永遠に続く存在だということを心の底にはっきりと信じ切っていることで、私たちはしっかり前に進んでいくことになれるのです。そのことをよく分かっているようでも、つい忘れてしまって、今さえ楽であればそれでいいと思い、苦手なことから逃げ腰になっていないでしょうか。自分自身を見つめ直していただきたいと思います。
知っているだけでは意味が無い
 次によく分かってほしいことは何かと言いますと、信仰の問題は一般の知識のように、聞いた、知った、分かったというだけでは意味が無いということです。知識と記憶を越えて信念となり、自分の行動を自(おの)ずから左右し、良い事を行っていく力


となり、いかなる障害にも邪魔にも屈することなく初心を貫く力となる、これが信仰によって得る力です。
 信仰歴が長い人は、これまで沢山教えの話を聞いてきて、本でも読んで、それなりの知識は持っています。そしてそこそこ記憶に残っています。そのために、自分はある程度信仰が進んでいると思い込んでしまっています。しかしそれは大きな間違いで、それだけでは全く信仰が進んだことにはなりません。自分は少しも変わっていないのです。
 知識を身に付けたということは、ただ入り口に立ったというだけのことで、これからが信仰の始まりなのです。ではどうすれば信仰が深まっていくのかと言いますと、実際に心と体で実践していくことです。
 自動車の運転で喩(たと)えてみますと、話を聞いたり本を読んだり映像を見たりして、どうすれば車を運転できるのかを知識として知ったからと言って、運転ができるわけではありません。教習所のコースで何度も運転席に座り、自動車を運転している


うちに少しずつコツが体に身に付いてきて、やがて実際の道路でもできるようになっていくのです。
 信仰についてもそれは同様で、実践をし体験を重ねていく中で身に付き、信念となっていくのです。自分が変わるというのは、この実践を抜きにしてはありません。
 例えば、「一切は恵みである」という言葉は、信徒なら誰でも知っています。では本当に分かっているのかと言いますと、言葉では知っていますが、それはただ知識として知っているというだけで、信念とはまだまだほど遠い所にいるのです。
 しかし、何か思わぬ出来事が起きて初めはうろたえ、その対処に苦労して不運だったと思った出来事が、ずいぶん後になってその経験が生きてむしろ幸運だったと分かり、しみじみ「一切は恵みだ」と悟ったとすれば、このことで信念が少し深まります。ただそれですっかり悟りきったという訳では無く、また新たな事に出遭い体験をすることを重ねていく中で、一層信念が深まっていきます。このように実践を重ねることが何より大切なのです。


今からでいい
 ある夜、お祈りをしている時のことです。「今日も自分が偉そうな思いになって生きていました。申し訳ありませんでした。教祖様、せっかく教えていただいているのに、少しも変われていない。九十年間何をして生きて来たのだろう」と落ち込む気持ちになっていますと、「今からでいいんだ」とどこからか聞こえてきました。そうです、今からでいいのです。
 そして「そうか、今からでいいんだ」と思ってやり始めてみたけれど、三日間しか続かなかったとしましょう。それで四日目の夜に「自分はもう駄目だ」と諦める思いが湧いてくるかもしれませんが、諦めることは全く要りません。また「今からでいい」のです。たとえ小さな一歩でも、前に進もうとする気持ちが大切なのです。
 今日が人生最後の日になるかもしれません。ただボーッとして過ごしてしまうのはとても残念なことです。「今からでいい」と希望を持って、今日を意義あるものにすれば、それは幽界での精進に必ず繋


(つな)がるのです。
 人間は必ず変わっていけます。変わるためにこそこの世に生きているのですから、当然変わっていけるのです。
 家族から「お父さんこの頃変わったなぁ。本当に頑固で、一度言い出したら絶対人の言うことを聞かなかったのに、ちゃんと人の話を聞いてくれるようになった」と言ってもらえるほど変わることができるのです。そうなれば、「人は鏡」ですから、周りも自分の言うことをじっくり聞いてくれて、心の繋がりも一層深くなっていくのです。
 まず、自分は永遠の命を頂いていることをはっきり信じて、要らぬ憂いを捨て去って元気に精進していきましょう。そして、教えていただいたことを分かった気にならずに、心と体を使って実践していくこと。今からでいいのです。今日一日希望を持って取り組んで、意義ある一日一日を過ごしていただくことを願います。




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