今月の言葉 > 自然誌 文章から > 令和 5年 7月号 真理の展望
受け入れる心
橋本のり子
パラスポーツの選手を見ていますと、本当に感心します。もし私が生まれた時から健常でなかったり、病気や事故で体が不自由になったりしたとしたら、一つの種目を続けていくことに勇気を出して努力していく根性があったかなぁ、それは難しいなぁ、きっと私は障害を抱えていることを気にして、家に閉じこもってしまったのではないかなぁと思います。
本人の意志が強いのは素晴らしいですが、それを支えてこられた御家族や周囲の人たちが、素晴らしいと思うのです。人を信じて受け入れるというのは、一人の人がその持てる能力を思いっ切り発揮して、多くの人に感動を与えるという働きができるようにする、それほど大きな力を持っているのです。
このような大きな力を出す元は、信念を持って現
実をそのまま受け入れることにあります。子供がハンディを持っていても、それに捉(とら)われて嘆いたり不安になったりするのではなく、現実をそのまま受け入れた上で、今親としてできることを精一杯していこうという前向きな気持ちでいることです。現実を受け入れる信念があれば、子供も自分を受け入れて希望を持って努力することができていくのです。
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今年は「いつも通りは通らぬ年」と教えていただいています。何か物事があると、焦るか、不安になるか、逃げようとするか、いずれにしても自分だけではなく周りも乱すような、不安定な気持ちになってしまいがちです。
しかしそのような時でも、現実を受け入れることへの信念があれば、「一切は恵みである」の心に目覚めて、何が起きてきてもそれを受け入れて乗り越えていけるのであります。
受け入れるというのは、心が穏やかな状態です。しかしいつも穏やかな心でいるということは、私自
身振り返ってみても大変難しいことだと分かります。気がつくとイライラ、カッカとしているか、穏やかとかけ離れた気持ちになっていることが、大変多いのではないかなと思います。しかし穏やかな気持ちでない中からは、決して建設的なものは生まれません。
神訓で「怒る急ぐ憂へる悲しむは物事を崩す」と教えられています。これらの心は、皆ゆとりを失い、穏やかさを失っている状態です。そのような心でいれば、物事が崩れていくのは当然のことです。不測の事態が起きたとしても、心が穏やかであれば、今何をすれば良いかに必ず気付いていけるのです。
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人間で生きているということは、生成発展していく方向に生きているのですから、生まれてきたら死ぬ時まで、進歩向上をしていくのが人間の使命です。しかし「もうこの年だから、衰えていくばかり、何もかも落ちていくばかり」と自分で決めてしまったら、そうなっていきます。
いくつになっても人間は、必ず向上していけるのです。体力は落ちていきますが、それに反して心は向上していけるのです。死ぬ時まで向上していけるのが人間なのだということを決して忘れてはいけません。
そして、私たち信仰者にとって最も大切なもので、どこまでも高めていけるのが信仰心です。私たちは皆、神様があると思っていますが、信じる度合いがそれぞれ違います。神様を信じる心は、無限に深く無限に高いもので、神を信じる心が高まったと思ったら、さらにその先にその続きがあるのです。
では信仰心とは何でしょうか。神様から私たちは御(み)霊(たま)を分けていただいて、人間として存在しています。ですからみんな神の心を生きているのです。自分と離れて別の所に神様がおられるのではありません。私たちの魂の中に、神の分け御霊があるのです。ただ、自分だけのことに捉われてしまう個我の思いがあるために、神の心から離れてウロウロとしてしまうのです。そこで、そのように迷ってしまっている自分に気が付いて、神の心に近
付いていこうとするのが信仰心なのです。
信仰心を高めていくためには、自分から神の心に近付いていこうと願い、努力を積んでいくことの中にあるのです。
信仰心と言っても、色々な面があるでしょう。しかし一番に言えることは、神様は分け隔てなく公平に人を慈しみ愛(め)でておられ、みんなを幸せにしたいと願っておられるということです。みんなにやさしいのが神様なのです。ですから、自分の周りの全ての人、全ての物、全ての出来事を受け入れて、それらを大切にする心に近付いていくことが、神の心に近付くことに繋(つな)がり、信仰心を高めていくことになっていきます。
まず食べ物の好き嫌いと、人の好き嫌いと、仕事の好き嫌いに気が付いて減らしていくこともありますが、洗濯のことを例に言いますと、洗濯自体は機械がやるから別にどちらでもないし、干すのは好きだけど、たたむのは嫌いだということがあります。工場での作業でしたら、仕事そのものは好きだけど、最後に片付けるのは面倒くさいというのもありま
す。
一つの仕事の中でも、好きな作業と嫌いな作業はあるものです。その嫌いをなくしてまず普通にできるようになることを目指し、そして普通になったら次は好きになることを目指すことを心掛けましょう。
それが信仰心を高める、神を信じる心を高めていくということにつながるのです。神様と同じように、何でも分け隔てなく慈しむ愛でる心を、と心掛けていくことが、信仰心を高めていくことになるのです。
信仰心を高めていった先に何があるかと言いますと、「一切が恵み」という所に繋がっていくのです。私たちの今の状態は、何かが起きたとき、一瞬「えっ、なんで」と不満が湧き、少し経(た)ってから「あっ一切がお恵みなのだから、これもお恵みなんだ」という具合に、一瞬「えっ」というのが入ります。本当に短い間であっても一瞬入るのです。しかし、好き嫌いが無くなっていくと、それがなくなっていくのです。
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朝起きる時「今日一日穏やかな心でいくぞ。何でも受け入れていくぞ」と布団の中でお誓いをしてから起きましょう。そうお誓いしながら、すぐ後に何か嫌な思いをしてしまうことがあるかもしれませんが、そういうことがあってもいいのです。懲りないで続けていると、何かイライラすることがあっても「あっ、朝お誓いしたんだ」と思い出して。気持ちを切り替えることができていきます。
一切が恵みに到達する信仰をしていただきたいと思います。
今年は「いつも通りは通らぬ年」という厳しい年ですが、それはつまり「一切が恵み」として物事を受け入れていく精進をしやすい年なのです。順調に進んでばかりであれば、この心を高めていくことは難しいのです。精進を重ねて神の心に近づき、分け隔てない慈しみの気持ちを育てていって、今までお恵みとは思わなかったことにもお恵みだと気付き、心楽しい日々を過ごしていただきたいと思います。