今月の言葉 > 自然誌 文章から > 令和 2年 8月号 真理の展望

今は変わるチャンス
橋本のり子


 一切が恵みであるということを、私たちは教えていただいています。コロナウイルスでこんなことになりそれすらお恵みであるとは考えられない、と思うかもしれません。けれども、世の中の理法には例外はありません。どんな困難も、どんなひどい目に遭うことも、そしてどんな素晴らしい喜びがあることも、一切が恵みなのです。
 自分の都合に合ったことは、私たちはお恵みと思います。何か持ち物を忘れてきて、誰かが二つ持っていて貸してくださったとき、「ありがたい、お恵みだ」と思います。しかし例えば一生懸命やっているのに、逆にいい加減にしているように言われたときは、腹が立ちガッカリして落ち込みます。しかしそれすらお恵みなのです。もう一段上を目指せと激励されている、と受け止めれば、一層努力するきっ


かけとなるのです。
 どんなことも一切が恵みである、と教えを頂いているのですから、自分の意志で、何が起きてきてもそれを恵みにしていこうとしなければいけないのです。
 自然社でも、コロナウイルスの影響で四月の会議ができなくなりました。そこで急遽テレビ会議をしてみようという話が出ました。以前からテレビ会議についての話題は出ていましたが、いつか機会があればということで、具体的に進むことはありませんでした。しかし今回はぜひやっていこうという気運が盛り上がり、全教堂長が参加して行われました。私もその時は自分のノートパソコンを持って本庁まで行って、先生たちのお世話になりながら、参加することができました。
 私はこの年ですからパソコンは得意ではありません。先日息子から「自然社の中心者である人間が、先生にいちいち世話になるようじゃおしまいだ」と言われて、私の弱点を突かれたようでショックでした。しかし息子は続けて「僕が全部設定してできる


ようにするから。毎日メールを開くということだけを条件として、それをやってくれるんだったら指導します」と言ってくれました。そこで「お願いします」と頼んで指導をしてもらいました。それから自分なりに色々とやっていくうちに、面白くなり楽しみになってきました。
 その後六月に、令和四年版新生活標語の最終選考会がありました。二日にわたって行われるのですが、前の日まで三日間連続で会議に出席しますので、三日間の「みおしえ」がたまります。そこで例年最終選考会の一日目は欠席して、家で「みおしえ」をします。ですから一日目の選考会がどのように進められたか、昨年までは全く分かりませんでした。二日目に出席した際に、前日検討されたものの中で私の意見を求められるものがたくさんありました。前日私が欠席したせいで、会議の流れがスムーズに行かない面があったのです。
 そこで今年は、一日目に「みおしえ」が済んだら、家からオンラインで参加することにしました。午後二時半頃「みおしえ」を終えたので、パソコンに


向かいました。本当にできるかどうか、言った以上はきちんとできなければと思い、神言を唱えました。そしてパソコンに「お願いします」と念じました。すると自分でも不思議に思うほどうまくいきました。
 三時間ほどオンラインで参加して、頭はとてもくたびれましたが、これで一日目の会議にも加わることができました。その日意見を言ってる最中、「あっ、これはコロナのおかげだ」と思いました。コロナのおかげで自然社がテレビ会議を始め、息子に尻を叩かれて勇気を出して取り組んで自分の苦手だったことを少し克服できました。
 その後も三人の先生が大事な話し合いをテレビ会議で行い、物事を素早く進めてくれました。その姿を見た時に、自然社がなかなか踏み切ることができなかったことを前に進めることができたのは、コロナのおかげだと思いました。
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 さて、世の中が一体であるということをいくら私たちが叫んでも、なかなか理解していただくことは


難しいことです。しかし今回のコロナのことで、世界中が繋がり合っていることを、多くの人が実感したと思います。
 コロナウイルスが広がったこともそうですが、人や物の行き来が無くなると、途端に仕事や生活に支障が出てきました。世界中の国々がお互いに支え合って成り立っていることがよく分かったと思います。
 そして日本だけでコロナが収束しても、他の国で収まっていなければ、日本でもまたいつ広がっていくか分かりません。家族の誰かが病気になれば、家族の他の人も病気の人のことが心配になって楽しくないのと同様、他の国のことは結局自分の国のことでもあるのです、一体の世の中であることをはっきり悟って、世界中の国でコロナが収束することを祈って行かなければなりません。
 今世界全体では、自国の立場からしか考えない国がずいぶん多い状況です。もしこのコロナがなければ、地球を破壊するような危険な物を打ち上げて地球が終わりになっていたかもしれません。また地球


だけの土地では飽き足らず、宇宙や他の星での覇権争いをするようなとんでもないところに行きつつあるところを、すごいエネルギーで引き止めていただけたのがコロナであると私は思っています。だからコロナはお恵みなのです。
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 個人的な事でも、この環境の中で自分に今何ができるかを探して、新しい生き方を身に付けていくことで、コロナを恵みとしていけます。
 例えば、周りのみんなが買うから自分も買う、というように周囲に流された生き方をここでやめにして、自分自身の境遇や立場で何が必要かを考え、必要ならば高価な物であっても何とか工面して手に入れる、それほど必要でないならたとえみんなが買っていても買わない、という生き方に変わることができれば、自分にとって大きな一歩となります。人間として自分の意志をしっかり働かせていく生き方に変わるチャンスなのです。
 そしてもう一つ、私たちは多くの物に支えられて生きています。その大本は地水火風の恵みです。毎


日地水火風の恵みに対する感謝の祈りはしていると思いますが、日頃の生活で物を粗末にしていたら、祈りがただのお題目になってしまいます。
 物にも命があります。洗濯機でも冷蔵庫でも炊飯器でももし壊れたらとても困り、それほど有り難いものですが、慣れきってしまって粗末にしていたら、申し訳ないことです。例えば洗濯機のスイッチを入れるときに「今日もありがとう」、終わったときも「ありがとう」。それを一つ一つきちんとしていくことを求められている時だと思います。
 コロナウイルスの蔓延は、私たち人間に対して今までの生き方を変えよと促されている神慮であり、つまり、変えようと思っていてもなかなか変えることができなかったことを変えていく絶好のチャンスなのです。今こそ自分を変えていく、と明るく前向きな気持ちになって、このチャンスをしっかり生かしていきましょう。




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