今月の言葉 > 自然誌 文章から > 令和 2年 1月号 真理の展望

勇気を持って
橋本のり子


 先ほど御替象謝恩祭の玉串奉奠(ほうてん)を終えて、軾(ひざつき)から立ち上がろうとした時に、教祖様でもない教長様でもない、聞いたことのない声で「勇気を持って」と言われました。何とも言えない太い強い声でした。
 式典中は夢中にしていましたが、全部終わって立ち上がる一瞬、少し心に思うことがあってフラついていたのだと思います。そこを見透かされたように、厳しく励まされたのか、勇気づけられたのか、叱責されたのか分かりませんが、太く厳しいお声でしたが、温かいものを感じました。
 実は式典で大祓詞(おおはらいことば)を奏上しながら、なぜか一瞬この間の台風で数知れない箇所で河川が決壊して、亡くなった方もまだまだ出てくるかもしれない、水が引いた後で家は残ってもベト


ベトした泥がタンスの引き出しまで入ってこれから大変だ、という色々な方々の場面が一瞬浮かんできて、自分は全く変わりなく生活していて、申し訳ないと思いました。それと同時に、この私は決まった時間に祭官と信徒の方々に囲まれて祓(はら)いを受けさせていただいて、また次の月も立場を頂いて生きていけるということが、非常にもったいなくありがたいと、涙があふれてきた御替象謝恩祭でした。
 全部終わって立ち上がったところで「勇気を持って」と言われ、それが私の心の中にすっと入って、急に元気なお婆(ばあ)さんになったみたいに足に力が入って退出することができたのです。
            ○ 
 そこで今日は「勇気を持つ」ということについてお話しします。
 勇気を持つとは、元気一杯人をなぎ倒して進んでいけと言っているのとは違います。勇気を持つの逆は、弱気になる、目の前の困難つまり嫌なこと、やりたくないこと、見たくないこと、聞きたくないこ


とから逃げる気持ちです。ですから、勇気を持てとは、逃げるなということです。
 そして勇気を持って立ち向かうために、立場に対しての責任を持つ気持ちを深くしなさい、と今神様から教えていただきました。責任感が強くなれば、逃げることはなくなります。迷うことなく、自分のするべきことに立ち向かっていけるのです。
 さらに付け加えると、責任感を持ってするということは、自分のするべきことを進んで喜んでするということになります。仕方なしに嫌々するのではなくて、「よしやるぞ」とやる気を出して、真っ正面から取り組んでいくことです。
 難題を抱えたり、迷わされそうな物事が起きたりした時に、逃げないで、自分の立場として何をどうするのかを考え、起きてきた事を積極的に受け入れて、それに従って生きていくということです。
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 勇気を持って何事にも立ち向かっていくために大事な事は、まず「一切は恵みである」ということを心にしっかり入れておくことです。自分の思い通り


になることも恵みですが、思い通りにならないことも尊い恵みです。
 あれだけ頑張って尽くしてきたのに、何でこうなってしまうの、と思うことがあるかもしれませんが、しかし出てきた結果が自分にとって一番良い恵みなのです。そのことに信念を持ってください。
 信仰している私たちが、喜ばしいことだけがお恵みで喜ばしくないことは悪いことという気持ちでやっているとしたら、それを子孫や兄弟や家族が見れば、「自分の都合のいいことばかり考えていて、信仰しても何にも変わってないじゃないの」と思うに違いありません。
 信仰していれば寄り道しないでトントン拍子に楽に進んでいける、と考えているとしたら大きな間違いです。楽をしていい思いだけをするために生きているのではありません。自分の至らない所に気付いて反省してお詫(わ)びして自分の心を浄(きよ)めていく、あるいは寂しい思いや辛(つら)い思いを通して人に対する思いやりを深めていく、色々な体験をして自分を高めていくための人生です。その


ために神様は、私たちに思い通りにならないことを必要に応じて与えてくださいます。試練と言えば試練ですが、お恵みなのです。
 「親の心は神の心である」と神訓にあるように、私たちも子供に対しては必要な時には厳しい態度で臨みます。よその子供がしたときにはそのままにしておくことでも、自分の子供には叱ります。それは、将来本人が幸福な人生を送るためには、何としてでも改めなければと考えるからです。本人のためを思ってこその厳しさです。それが親心ですし、神の心です。 神様は私たち一人一人に目をかけてくださっているから、その時々に最もふさわしい境遇を自分に与えてくださるのです。だから恵みなのです。それがはっきりと心の中に入っていれば、思いもよらぬ出来事が起きても、これは自分にとって恵みだと悟って、全身で受け止めて、勇気を持って取り組んでいけるのです。
 そこでどんな状況になってもそれをそのまま受け入れて、自分としてできる精一杯を喜んで努力すればいいのです。そしてその結果がどうなるか、それ


も神様にお任せすればいいのです。神様はいつも自分にとって最もふさわしい結果を現してくださるのですから、先の事は何も心配することはありません。
 「一切は恵みである」ということが分かれば、現実を喜んで受け入れながら、生き生きと元気に、勇気を持って生きていけるのです。
 そうやって勇気を持って取り組んでいけば、今まで気が付くことのなかったことを新たに気付いたり、今まで持っていなかった力が身に付いていったりして、結局自分が得をするようになります。平穏で何事も無かった自分とは違って、一段向上した自分になっていけるのです。
 誰でもその人なりの立場を頂いて生きています。その立場には必ず責任が伴っています。神様がこの自分に立場を下さっていることは、目を掛けてくださっているということで、有り難いことです。それを無駄にしないで、自分の立場を大切に思い、その愛情に対して応えていける人になってほしいと思います。そのために、責任感を持って、勇気を持って


生きていってください。
            ○ 
 私は最近足が弱くなってふらつくようになり、式典の際に軾(ひざつき)から立ち上がって退出する時に転びはしないかと不安な気持ちになります。ところが今日は「勇気を持って」と言われた余韻が残っていて、転ぶことが恥ずかしいとか怖いという思いが全くなくなりました。足に力が入ってしっかり歩いていて、気が付いたら部屋に戻っていました。「勇気を持って」という気持ちになれば、心だけでなく体までしっかりするということを一瞬のことで体験させていただきました。
 まず立場に対する責任感をしっかり心に抱いて、勇気を持って現状を受け入れる気になったら、「やるぞー」という強い意欲が湧いてきて、不思議に知恵も湧き気付きもさせていただき、体も動くようになっていきます。
 それをぜひ体験していっていただきたいと思います。
            (令和元年十月二十一日


大阪教堂での御親教)




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