今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成29年 9月号 真理の展望

「ハイッ」
橋本のり子


 春の練成会で子供たちに対して、あることを実行していきなさい、とお話ししました。そして子供たちに言った上は自分自身がしなければと思い、これまで数箇月間実行してきて、自分の生き方が少し変わったことを実感しています。
 何をお話ししたかと言いますと、人から何かを言われた時に「ハイッ」という大きな返事をすることです。「ハイッ」とはっきり言うことは、心のスイッチを切り替えることになるのです。
 私たちは暮らしの中でいつの間にか惰性に流れてしまうことがあります。楽な方ばかり選んだり、ダラダラとした気持ちになったりしますが、そのような張りの無い気持ちでいると、もったいない一日を過ごすことになり、そしてもったいない人生を終わることになります。


 人生というのは、つまり時間です。時間を粗末にすることは、人生を粗末にすることになります。自分の人生を大切にしたいと誰もが思っているのですが、今日の時間を粗末にしていては、結局自分の人生を粗末にすることになり、それはとても残念なことです。
 この惰性に流れている心を切り替えて、心を前向きにし生き生きした方向に向ける上で大いに役立つのが「ハイッ」という返事です。
 「ハイッ」と返事したからと言って、言われた通りするかどうかは別です。とりあえず「ハイッ」と言うことで心のスイッチが入るのです。そして相手に対して真っ正面を向いて、集中することになるのです。
 例えば何かをしている時に買い物を頼まれたとしましょう。まず「ハイッ」と元気よく返事をします。そしてもしも今手が離せないのなら、「五分待ってください」と言えばいいのです。そうすれば相手の人も快くそれを受けてくれるでしょう。このようにまず「ハイッ」と言うことが、自分の暮らしの姿


を変えていくのです。
            ○
 「ハイッ」と言うことが何故(なぜ)大きな力を持っているかと言いますと、それはこの言葉が、神業を素直にそして積極的に受け入れている決意を表しているからです。
 私たちはつい目の前の事や自分の都合に強く捉われて、起きて来た事を嫌がり、拒絶する思いになったり不満の思いを湧かせたりします。その思いは神訓で「怒る急ぐ憂(うれ)へる悲しむは物事を崩す」と教えられているように、様々な不具合を生み出す元になっています。
 自分の身の上に現れてくることは全て神業であり、自分にとっての恵みとして神様が現されたことです。今起きて来た事が自分にとって恵みの事だということは、すぐには分からない場合がほとんどですが、長い目で見れば必ず自分のためになることばかりが起きています。だから「一切は恵み」と言われているのです。
 潔く「ハイッ」と言うのは、起きて来たことを真


っ正面から受け止めるという覚悟をしたということであり、つまりしっかりとスイッチを切り替えたということです。それが、その時その場に最もふさわしい行動を取る元になるのです。
 ただ誤解してはいけないので付け加えておきますが、誰かから何かを頼まれたら全部それを引き受けなければならないのかというと、そういうことを述べているのではありません。起きてきた事実をまず心から受け入れていきましょう、ということであって、自分がどうするかは自分がしっかり考えて決めるべき事です。
 人が自分に何かを頼んできたら相手の話をしっかり聞くことが、今まで述べてきた「ハイッ」ということです。その上で、引き受けるべきだと思えば引き受け、引き受けない方がいいと思えば断るのは当然で、それは自分の意志の問題です。
「祈念の詞(ことば)」の(三)に次の言葉があります。
「如(い)何(か)なることも 神なる働きの部分であると悟って 現れて来る一切のことを そのま


まに受け入れ認めて そこに己の生きる方途を決定しながら 日々喜びを感謝のうちに生き貫く」
 「ハイッ」と返事することは、ちょうどこの言葉の通りに、物事をそのまま受け止めて、積極的に生きるスイッチを入れることなのです。
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 私は一人暮らしをしていますので、「ハイッ」と声を出すことはほとんどありません。しかし子供に言った以上、私自身が実行しなければいけないと思って、電話が掛かってきたとき、そして何かフッと気が付いたときに、心の中で「ハイッ」と言うようにしました。気付いたということは、神様からの信号を受けたということですから、例えば机に置いた物が少し曲がってると分かったとき、心の中で「ハイッ」と言ってすぐ直すようにしました。
 それをこの何箇月間やってきた結果、いつの間にか自分が少し変わってきました。例えば夜遅く帰ってきたとき、この鞄(かばん)の整理は明日するしかないな、と初めに思います。以前でしたら疲れて帰った日は、とても片付ける気力が出なかったから


です。ところが気が付くと、鞄の蓋が開いていて、洗濯するものは洗濯機に入って、二階に運ぶものは机にきちんと並んでいます。「えっ、私これをいつの間にかやったんだ。くたびれてるはずなのに、不思議だなぁ。ありがたいなぁ」と思います。
「ハイッ」「ハイッ」と心のスイッチを切り替える努力をしているうちに、要らぬ気持ちに捉われることが少なくなり、物事をこなす力が付いてきたようなのです。
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 昨年の神光五月号に「『みおしえ』を下付される時の心得」を書きました。その文章で、「みおしえ」を下付いただく時、まず一回目に読まれる際に理屈抜きで「はい」という即受け入れる気持ちで頂いてください、と書きました。
 今年六月の高千穂歌碑祭の折にある信徒の方が、それを実践したことで自分が変わってきた、と話してくださいました。
 その方は毎日自宅で「みおしえ」のお誓いをしておられて、一箇条読むたびに「ハイッ」と言われる


そうです。誰もいない時は大きい声で「ハイッ」、家族がいる時は心の中で「ハイッ」。これをしているうちに自分が潔くなれた、とおっしゃいました。何かが起きてきたときに、しょうがないから妥協して受け入れるというのではなく、素直にそのまま頂けるようになり、体も元気になった、ということです。
 このように「ハイッ」という言葉には大きな力があります。物事を肯定的に受け止めて、建設的にしていく力です。これを実践して行けば、その時に自分にとって一番ふさわしい言葉を発言し行動ができる人になっていけます。頂いた人生を有意義なものにしていくために、ぜひ「ハイッ」と言って生きることと取り組んでいただきたいと思います。 




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