今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成29年 1月号 真理の展望

この世に生きている恵み
橋本のり子


◎この世とあの世
 この世(顕界)は修行の場だと教えられてきましたし、私もそのように皆様に伝えてきました。しかし修行と聞くとつい厳しいイメージが湧いてしまい、辛(つら)い毎日を耐えながら少しずつ成長していくもののように考えて、しんどいなあと思うかもしれません。もちろん長い人生では幾度も辛い時が訪れるのは確かですが、人生そのものがただ辛いものであるかのように捉えるのは間違いです。色々な経験を通して様々な事を学び、心を浄(きよ)め高めていくことを修行と言うのです。その中には、実に多くの喜びが詰まっています。ですから、ぜひ人生を喜んで生きていただきたいと思います。
 そこで、この世に生きる恵みを知るために、あの世(幽界)がどんな所かをまず知っていただきたい


と思います。この世では様々な世界や社会の人と直接会うことができますが、あの世ではそれができません。一人一人の心境に応じて細かく階層が分かれていて、自分と同じレベルや下のレベルの人には会えますが、自分より高い心境の人には会えません。上の階層のことを知りたいと思うなら、精進を重ねて少しずつ上に上がっていくしかないのです。
 そして物が無い世界ですから、着飾って表面だけを取り繕うということもできません。裸のありのままの自分自身と向き合うしかないのです。そうして自分と向き合い続けて、自分を知り自分を高めていくのがあの世での修行です。
 人によって異なりますが、そのようなあの世での修行が何百年か続きます。そして、この辺で顕界での修行をしてきなさい、という神慮(みこころ)の恵みを頂いてこの世に生まれてくるのです。この世での生活は、長い幽界での精進の間の特別に恵まれた一(ひと)時(とき)だとはっきり知りましょう。
 この世で私たちは、多くの人や物に囲まれた生活


を送ることができます。まず、物に対してはそれをどう扱うかを自分が決めて自分の自由に使う力を頂いています。物事を決定していく自由を頂いていることの素晴らしさを、よくよく味わい喜ばなければなりません。ところが私たちはその恵みに慣れてしまって、喜びも感謝もなく過ごしてしまいがちです。
 例えば外出先で食事をする時に、どのお店に入って何を食べるかは全て自分の意志で決められます。そしてたとえ裕福でなくても、その時外食するお金を私は持っているのです。まず楽しんで選び、注文した物が運ばれてきたことに感謝し、味わって食べて、「ああ、美(お)味(い)しかった」と言って気分良く店を出れば良いのです。ところがこの恵みの一時を頂きながら、椅子や器が良くないとか、少し味が濃いとか、店員の態度が気に食わないとか、自分の癖で粗探しをしてしまって、面白くない気分で店を出るようなこともあります。それはせっかくの至福の一時を、自分の狭い心でわざわざ気分を悪くしてしまうことで、とてもつまらないことです。



 わずか百年ほどの間だけ、色々な物に囲まれたこの世での生活を頂いたのですから、そのことを感謝し、物との関わりの中に喜びを感じながら生きていきたいと思います。
 また、人についても同じです。あの世では自分より心境の高い人とは接することができません。しかしこの世には、本当に素晴らしい尊敬すべき人がおられて、それを見聞きしたり直接お会いすることもあります。
 例えば、自分の仕事に使命を感じ、どんな困難にも挫(くじ)けずひたすら世の中のために働いてくださる方がおられます。また、どんな人に対しても相手を粗末にせず温かく優しい心で接してくださる方がおられます。そのような方には本当に頭が下がる思いがしますし、少しでも見習わせていただきたいと思います。そのような方と接したり報道などで見聞きしたりすることで、自分の未熟さを知り、精進の目標とすることができます。
 あるいは反対に、随分我(わ)が儘(まま)な人


と接することもあります。自分の都合ばかり考えて無理やりにでも押し通そうとばかりする人、自分の感情のままに振る舞って人の苦しみをなんとも思わない人など、思わず眉をひそめたくなる人たちですが、そのような人と接することにも大きな意味があります。程度の差はあっても、自分も同様なことをしていることがあり、それを鏡としてじっくり自分を反省する機会となるのです。
 このようにこの世に生きているからこそ、色々な人と触れ合うことができるのです。自分以外の人と接することのできる大きな恵みに気付いて、一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います。
 この世に生きている間は、この貴重な機会を大切に思い、それを喜んで受け止め、生かしていきたいものです。
◎時間を大切に
 自分の運命をどのように切り開き、どのような人生を作り上げるのかは、結局今日一日をどのように生きるかということに懸かっています。
 今日は頑張らなくても明日があるからいいだろう


、とだらだらと過ごす人は、結局毎日をだらだら過ごしてしまい、一生が終わってしまいます。計り知れない幽界での修行の時を考えると、僅か百年ほどのこの世の生活を無為に過ごしたのでは、後悔の人生になります。
 昨年の年頭に「体を大事にせよ。時間を大切にせよ」と教えていただき、それを元にして「己の全てを出し尽くそう」という信仰実行目標が出来ました。自分の力を出し尽くすためには、「体を大事に、時間を大切に」することが欠かせません。体についてははっきり目に見えることですから、皆さんそれなりに心掛けておられると思います。しかし、時間は目に見えませんので、つい疎(おろそ)かにしてしまいがちです。
 人生は時間です。時間を粗末にすることは、人生を粗末にすることになりますから、時間を大切にすることについて、ぜひ真剣に取り組んでください。
 そのための重要なポイントは、けじめを付けることにあります。体や心には休憩が必要ですから、ゆ


っくりと休む時やのびのびと遊ぶ時があってもいいのです。ただしその際、何時まではゆっくりしてそれからは精一杯働くという、自分で自分の時間をしっかり管理することが大事です。時間のけじめを付けることが、自分の人生をきちんと自分で管理することになり、運命をよりよい方向に変えていけるのです。ついだらだらと過ごしていつの間にか時間が過ぎてしまったということが無いか、日頃の生活を省みてください。 
 先日百一歳の方にお会いした時に、「試しに筆を持ってみたら、まだ筆で字が書けるので、写経をしていきたいと思います」とおっしゃるのをお聞きして、とても感動しました。その方は今生きていることに感謝し、頂いている時間を少しでも意義あるものにしたいという意欲を持っておられます。時間を生かそうとしておられるその方の生き方を、ぜひ見習いたいと思いました。
 この世に生きていることを心から感謝し、喜び、一日一日を大切にして、実りある人生を築いていただきたいと思います。




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