今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成18年 3月号 真理の展望

親 心
湯本光一

 私たち夫婦は、今年で結婚25年を迎えることになりました。若い年齢で結婚をし、岐阜教堂を振り出しに5回の引っ越しをする間に、5人の子供に恵まれました。
 当初、自分で考えていたよりも結婚が早くなったのは、まだ56歳だった母を亡くしたことがきっかけで、「自分の都合より、長男として家を立てることを優先せよ」と、初代教長のご指導をいただいたからでした。
 5人の子供たちが現在に至るまで何とか生い育ち、長男は本宮の職員として御用に仕え、長女がこの度めでたく結婚できるまでに成長できたのは、ひとえに自然社の信仰と、20歳で嫁いできた妻のお陰だと思っています。
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 現在の長女の年齢の時、妻はすでに長女を生んで


いたことを4人の娘たちに伝えると、「若い」と言って驚いていました。
 最初の子供である長女は、結婚2年目に恵まれました。すぐにも子供が欲しかった私たち夫婦は、妊娠が確認できるまでの1年間をとても長く感じ、子供は授かりものであると身に染みて思いました。
 長女が妻のお腹に入ったと分かった時の喜びは大きく、同時に教えに従って自分を戒めるために「子供が生まれるのは親のためだけでなく世の中のためである」との新生活標語を作って入選したことを思い出します。
 私はほとんど覚えていないのですが、出産直後、長女を初めて抱いた私は、手足の指がそれぞれ5本そろっているかと、指の一本一本を数えていたと、妻は今でも言います。まずは五体満足であったら何も言うことはない、と我を忘れて歓びに浸っていたのだと思います。
 教えの通り、親子の縁をいただいた時から、子供を私物と思わず、親の鏡として一人前に育て上げることによって親自身の心を磨く。そして、子供がや


がて成人して巣立っていく時は、世の中にお返しするという心得が、子育てを誤らぬ根本であると、その時は決意したはずでした。
 しかし、そんな思いはいつの間にか消えて、気がついてみれば思う通りにさせたいという「我」が先立って、子供の言動を見ては腹を立てたり、不満に思ったりすることが多かった自分でした。
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 親としての心の誤りや至らないところがあれば、子供の病気やけが、あるいは事故などに現れてきます。また、日々の生活の中で、子供の言動や行状そのものが、すべて親である夫婦の心の鏡として、そのまま現れてくることを痛いほど知ることになります。
 かつて自分が親に心配をかけたり困らせ悩ませたり、逆らったりしたことは、必ず子供が同じことをして見せつけられ、反省せざるを得なくなります。
 そして、一人ひとり子供の性格は違っても、親自身が持つさまざまな心を、それぞれが受け継いでい


ます。我が子は誰の子でもなく、自分たちの子であることをこうした意味でも痛感させられます。
 聞き分けのない子供を前にして「おまえは誰の子だ、誰に似たのか、そんな子供に育てた覚えはない」と、つい口に出したくなることもありますが、もとよりそんな理屈が通用するわけもありません。
 自分が親や目上を尊び従う心が乏しいのに、子供が親の言うことを素直に聞くはずもなく、自分は至らない所があっても子供にはそんな短所はない、というように都合良くはできていないのです。子供が言うことを聞かないのは、過不足なく当然のことが現れているに過ぎないということです。
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 しかし、現実に次々に様々な問題が、家族の身の上に生じてくると、やはり狼狽し、悩みます。そんなとき、根本的な解決を望むなら、自分の心と生き方を省みる以外に方法はありません。悩みの原因は必ず自分の心にあり、虚心に自分を省みれば原因を突き止めることができます。
 事に当たって自分の心を知り、自分の心や生き方


を改める姿勢を貫いていくことが信仰であり、これによって問題が解決し幸せになっていきます。
 そして、子供の躾には、自分を反省して、至らぬところを神様にお詫びし、親としての心の基盤を整えること。その基盤に立って子供に言い聞かせ、年齢に応じて必要なことを教え、身に付けさせることだと思います。
 そこに、自分に対する言い訳や、自分は少しはましな人間だというような誤魔化しが通用する余地はありません。
 この意味で信仰は真に厳しいものであり、自分を高く評価したい自尊心を捨てて、徹底して自分の心のありようを見詰めることが要求されます。
 こうした信仰を倦まず弛まず続けることが、親としてあるべき姿を自分に植え付け、人間としての向上をさせていただけるのだと思います。
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 2年前に長男が本宮職員として就職する折、そして今また長女が嫁ぐ段になって、私の亡き母や妻の亡き父をはじめとして、我が家の先祖が大変喜んで


いると「みおしえ」で教えていただきました。親や周囲の人に祝福される進路や結婚を選ぶことが、人間の幸せの元であると昔から言われていますが、本当にその通りだと実感しています。
 長女が結婚を決めるに当たっては、たった一か月の間に5回にもわたって、亡母をはじめ色々な先祖の御霊があらわれ、間違いのない決断をするようにと後押しをしてくれました。親や先祖は子孫の幸せを、いつでもどんな時でも、こんなにも真心から願ってくれているものかと、先祖の厚い親心を知り、私自身、今更ながらに驚いています。
 子供たちが何とか成長して、先祖に喜んでもらえるような人生に踏み出すことができたのは、私と妻の双方の親の信仰と、先祖の守り、それに、妻の苦労をいとわずに家族のために尽くしてくれた日常の生き方に負うところが大きいと心から感謝しています。そして、信仰によって揺るがない幸せを築くことは、先祖を尊び大切にすることから始まると確信しています。
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 私たちが結婚した時、妻の亡父は49歳で結婚25年を迎え、今の私と同じ状況であったことを最近になって気づきました。そして、今の私と同じような心境を25年前の自然誌の執筆していることに、偶然に目が止まりました。
 この記事を読んで亡父の親の気持ちが少し分かった気がします。結婚当時、私は何と未熟で親心が分からなかったことか、と痛切に感じています。「親孝行したい時には親はなし」と言いますが、その通りだと思います。
 子育てに迷って途方に暮れたとき、あるいは子供が親の言うことを聞かず勝手なことをすると悩んだときは、自分自身が、親や、先祖や、目上の人を尊んでいく、と思い直すように教えていただいています。この一点に絞って自分はどうだったかと省みて心を新たにして実践していくところに、問題を乗り越える道があることは間違いありません。
 親として、子供の幸せをどこどこまでも願い続ける心を大きくしていけば、いま子供に必要なことは何か、ということを直感的に分からせていただける


ようになり、的確に、誤りなく、躾け導いていくことができます。
 どんなときも自分を思ってくれる親心を知り、自分もそれと同じ親心を育てるように努めていけば、世の中はより安定し、自分に恵まれている幸せを、より強く実感できるようになっていける。
 この思いを胸に、子育ての仕上げと信仰精進に励みたいと思います。




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