今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成17年 8月号 特集 自然社の教え
心のはたらき 集中、祈り、積み重ね
田村雅和
御替象願いの祈り
15年前、木造アパートの一室に一人住んでいました。ある日の夜中バキバキッ、バチバチッという音で目が覚めました。
二階の人の「隣が燃えている」という声であわてて外へ出ようと思った時、教祖の写真が目に入りました。「困ったことが起きたら『御替象願い』をするように」と父から常々言われていた言葉が浮かび、その場で「御替象」を願いました。(御替象については教祖様の項参照)
外へ出ると隣家は炎に包まれ、燃え広がる勢いをみせていました。火が燃え移らないよう何度も御替象願いをしましたが、隣家と1m程しか離れておらず、アパートの外壁に火が燃え移りました。
「もうダメか」と思いながらも祈り続けました。やがて消防車が来て消火活動が始まり、その上風向き
が変わったのか、火の勢いが弱まりました。結局板壁の一部を焦がしただけで済みました。
◎
それまで私は両親に言われるままに信仰をし、「神様はおられるだろう」とは思っていましたが、それを確信するだけのものは持っていませんでした。
ところが、隣家とわずかしか離れていない我が家が、炎になめられながらも最小の被害で済んだのです。神様の実在にさえ確信が持てない私の祈りが通じたなんて、驚きを通り越した出来事でした。
そして、そこに計りしれない恵みがあることを実感し、「神様は確かにおられる」という思いが芽生えました。
「困った時の神頼み」だったかもしれませんが、必死に祈り、不思議な現象を体験して、真剣な祈りは必ず通じることを確信しました。目の前の事情にとらわれず、心を集中して、神を一心に祈れば願いは通じるのです。
心が人間の働きの中心
人間は目に見える体と目に見えない心で成り立っています。手を使って働き、足を使って動き、口を使って話すのは体の機能ですが、それらを動かしているのは心です。心こそ人間の働きの中心です。
そして心は自分の体を動かすだけではありません。人の思いはたとえ形に表さなくても周囲に働き掛け、様々な影響を与えていきます。その働きかけを神様に向けるとき、祈りになるのです。
このように、人の心が自分をも周囲をも決定し、変化させていく元になっています。ですから心の大切さに目覚め、自分の心をよりよいものにしていくこと、自分をも周囲をも幸せにしていく心に変わっていくことを目指すべきであり、信仰精進の目的はそこにあります。
人間の心には意識の層と無意識の層があり、意識の部分はほんの一部にすぎません。私たちの心はほとんどが無意識のうちに動いています。
その無意識の層に自分では気付いていない様々な心の癖を持っています。その無意識の心が働いて、良い影響をもたらすこともあれば、自分や周囲を困
らせるような心癖もあります。
自然社で信仰している私たちは「みおしえ」を下付していただいて、無意識にある心の癖を自覚して、心から清々しい心に生まれ変わっていこうと努めています。(「みおしえ」の項を参照)
無意識にある心の状態をはっきり意識することで、その無意識に変化が現れます。自分の心の偏りをありのままに知って心底からそれが不要のものと悟ったら、その心癖は自然に薄められ消えていくことになります。自覚という心の働きが自分自身の心の深層をも変えていく、これは人間にしかできない霊妙な心の働きの一つです。
集中力を高める
一方、意識的に心を働かせていくのが祈りです。祈りは、目に見えない心で目に見えない神様に働き掛けるもので、これも人間にしかできない心の働きです。
祈りの働きを生かすかどうかが、人間の幸福に大きな違いをもたらします。
祈りは、形を整えたり時間をかけて行うことも大
切ですが、何より大事なのは、神様に真正面を向いて心を集中して行うことです。
木に穴を開けるとき同じ力をかけた場合、先端が鋭いほど穴が開きやすくなります。一点に力が集中して大きな力となるからです。これと同じで、祈るときも心を集中させてこそ大きな力となります。心を集中してこそ神様に通じる祈りとなるのであり、心を集中して何事かを念じることを指して「祈り」と言うのです。
では、どうすれば集中力を高めた祈りができるのでしょう。自然社では式典を行う時「自然社教典」の冒頭にある「おほはらひ詞」(大祓詞)を奏上します。
大祓詞は奏上する人の心を清らかにして神様に通じやすくし、式典を行う祭官や参列者などこの世の人と、祈りを捧げる神様や御霊など目に見えない世界とをつないで、祈りや願いを通じさせていただく「むすび」のことばになります。
積み重ねていく
自分のことをまず考える我がままな心で暮らすこ
とが多い人間が、式典に列席したからといって神様に通じる清らかな心や、式典にふさわしい心境にはなかなかなれませんが、大祓詞を唱えることによって心を鎮めていただけるのです。
また、教祖は「神言」(教祖の項参照)によって私たちを守り導いてくださることを約束してくださっています。大祓詞を奏上し、神言を唱えることで、より集中して祈念を行うことができるのです。
そして祈り続けることが大切です。目に見えなくても、一回一回の祈りは積み重ねられ、大きな力となっていきます。
信仰によって自分の心を知り、心を集中しての祈りを積み重ね、心のはたらきを大いに高めていきましょう。
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