今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成17年 8月号 特集 自然社の教え
教祖様(徳光之神護り給え導き給え)
谷田 勲
3回唱える
自然社の教祖金田徳光先生は、亡くなられた後も御霊として修行を積まれて、昭和31年11月「神界」に入られ、ますますそのおはたらきを大きくされました。
その時、初代教長橋本郷見先生は「教祖のお導きが得られるよう、神言を神授かることを念じてきたところ『徳光之神護り給え導き給え』と三唱することを許されることになった」と発表されました。
神言を授かって以来、多くの信徒が神言をお唱えすることによって災いから救われ、心の浄めと安心を頂く体験をしています。
◎
自然社で信仰している私たちは、大正8年1月に亡くなられた金田徳光教祖のことを、夜も昼もお守りくださっていて、事ある毎にお導きくださると信
じています。
そして、神様にお祈りをする時とか、作業など物事を始める前とか、何か困った事に行き当たった時とか、背筋をしゃんと伸ばして取り組もうとするとき、「徳光之神護り給え導き給え」とお唱えしています。
神言を唱えるときは、自分の前に教祖がおられるという気持ちで三回お唱えしますが、神言を唱えることによって、教祖が見守ってくださっているという安心を頂いて、自分にできる精一杯の真心を尽くそうという気持ちになります。そして祈りや作業を終えた時、お礼の気持ちを込めて神言を三唱します。
お守りを頂いて安心して精一杯の働きを尽くし、お導きによりつつがなく終えることができましたと感謝する。信徒は日々このような祈りをしていく中で、教祖を念じて一心に祈れば、教祖はいつでも自分の前に来てくださるし、常に身近にいてお導きくださっているという体験をしています。神言は日常の生活にしっかり組み込まれているのです。
『教祖伝』
自然社の教祖金田徳光先生のことは『金田徳光先生傳』(教祖伝)に詳しく記されています。多くの信徒がこの本によって、教祖の歩まれた道を知り、自然社で行われている信仰とはどのようなものか、誠の心をもって生きるとはどのようなことか、ということを心にしみこませようと努めています。
教祖は「世の中に誠ひとつの宝もてなりととのわぬものなかりけり」という和歌を詠まれました。このお歌は自然社の聖歌となっています。誠の心をもって実践していってこそ、何事も成り(完成し)整う(調和がとれていく)と教えてくださったこの道を、私たちは教祖のお導きを頂いて歩んでいます。
身近にいてくださる
教祖伝のまえがきに次の文章があります。
◇この伝記の編纂に当たって、教祖の『みたま』に対して、ご意向をご指示いただきたい旨のお願いをしたところ…(以下略)
すでに亡くなっておられる方にお尋ねして伝記を
書くなど、普通では考えられないことですが、このお願いに教祖は、「伝記を書くなら、善いことばかり書こうとせずに、悪いことも書いて、ありのままの記録とするように」とお答えになっています。
私たちは、教祖は「神様」として高い所、遠い所におられる方だとは思っていません。ご意向をお尋ねされたのは初代教長ですが、「教祖は教長(今は教主)を通していつでもお導きくださっている」と、身近にいてくださるお方だと思っているのです。
幼いときから
教祖は、幕末の文久3年(1863年)に今の大阪府下で生まれ、明治時代の終わりから大正時代の前半に掛けて活躍されました。
幼い時から人を思うあつい心を持ち、また霊能にすぐれておられたと伝えられています。そして道を求める心が強く、少年期から大人も及ばないような修行を積まれました。
そして教祖は弘法大師を、世を救い人を導かれた先輩として深く尊敬し、高野山にある弘法大師の御
廟に何度も参拝して、大師がこの世に現すことなく世を去られた信条を伝えていただきたい、それをもって世を救い、人を導きたいと願って修行を積まれました。
教祖は明治30年代ころから、商業を営みながら、訪ねてくる人の様々な苦痛を癒やしておられましたが、だんだんとその評判が高くなって教えを乞う人が増えてきました。
ところが明治の末ころになると、商売に熱を入れると様々な障害が出てきて、これは、宗教家として人を救う道に専念しなさいという、神様のご意志だと悟られました。
そこで、以前から教祖を慕っていた人たちが布教所を用意して、「御嶽教徳光教会」として布教を始められました。
自然社は教祖の開かれたこの教えをしっかり受け継いで布教しています。
「神訓」と「みおしえ」と御替象
自然社の信仰は、この世の成り立ちを明らかにした「神訓」と、神訓に添った生き方をして幸せにな
っていくにはどのようなことに気付いていったらよいかを、それぞれの人に教えていただく「みおしえ」と、御替象を柱としています。
教祖は修行を積まれる間に高い神霊と心を通わされるようになり、その最高神霊によって宇宙のあるがままの姿を見て、この世の成り立ちを「神訓」として表されました。
「神訓」には、神様はどのような存在か、この世はどのように成り立っているのか、人間はこの世でどのような立場にあるのか、どのように生きていけば幸せになれるのかという理が表されています。(神訓のページ参照)
教祖は「神訓」を表し、「みおしえ」を授かられて、世の人々が不幸や苦痛から救われて幸せになるだけでなく、人間としてこの世に生まれてきた意味を全うできる道を開かれました。
身の上に現れた苦痛(「みしらせ」)は、その人の生き方や心のあり方に原因があって現れてきたもので、その原因となっている心の偏りを教えていただくのが「みおしえ」です。
(「みおしえ」の項をご覧ください)
しかし、急病や突発的な事故などで緊急を要する場合、「みおしえ」では間に合わないことになります。そこで教祖は信徒が「みおしえ」を頂くまでの間その苦痛を我が身になりかわることを願って「御替象」の神事を神授かられました。
教祖はこうして世の人々を救い導くために必要なことを表してくださいました。
教 祖 殿
自然社の教理の根幹である「神訓」は教堂の神前に掲げられており、「みおしえ」と御替象は、教祖のおはたらきをこの世にお取り次ぎされる教主に受け継がれています。
自然社で説かれている教えは、金田徳光教祖の神霊としてのおはたらきによって、今もなお、生成発展している教えです。
また、教祖は、必要のある時には、教主を通して、今現在知っておくべき大事なことをお教えくださいます。
自然社本宮の神殿山の麓にある「教祖殿」に教祖
の神霊がお祀りされています。教祖の神霊はここを、大神様に仕えて、世と人を護り導くおはたらきの本拠としておられます。