今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成16年10月号 真理の展望

五大陸お浄めを振り返る
森山 勝

 五大陸それぞれの最高峰のある地を巡り「浄めの石」を鎮めて回るという壮大な行事が、この度のアフリカ大陸をもって終了しました。
 最初この計画が発表された時は誰もが筋書きの分からない、お役目を頂いた者も行ってみなければ分からない、といった一見無謀とも思えるものだったのですが、実際に現地に足を運んだ団員たちは全国の信徒の誠の祈りはもとより、背後からの大きな守護と導きを頂いて、一番適切で確かな場所に「石」を埋める式典ができたことを感じました。
 ユーラシア大陸では最高峰エベレストの麓に、北米大陸では同じくマッキンリーに、南米大陸ではアルゼンチンのアコンカグアに、オーストラリア大陸ではコシウスコ山頂の間近に、そしてアフリカ大陸ではキリマンジャロ山麓に教主を団長とする一行が長駆赴きました。


 日本からの距離とか季節など環境はそれぞれに異なるのは当然にしても、いずれの大陸でもその遂行には大変な苦労が伴ったであろうことは想像に難くありません。観光のための海外旅行などと違って、案内するガイドにとっても初めての、危なっかしい綱渡りの連続でした。過ぎ去ってみれば五年間は一瞬のことのようにも思え、今ふり返ってみてもあらためて大変なことが行われたのだと感慨を深くしています。
 この五年間その中心になって五大陸すべてに赴いたのは教主だけですが、これらの経緯について同行を許された一人として書かせていただきます。
             ◎
 この計画の発端は平成十一年七月の「神光」紙上に詳細に述べられていますのでここでは割愛しますが、事の起こりを時間を追って眺めると、すべて起こるべくして起こってきた神業で、私たちは大きな導きのまにまにたどっていったことが分かります。
 それだけでもすごい事だと思うのですが、私はそ


れ以前に言われた教主の言葉を今も忘れられません。それは五大陸の記録には現れてきませんが、五大陸お浄めの伏線となる大事な意味が込められたものだったと思っています。
 それはさらに時間をさかのぼる平成四年十月、最後の戦没者慰霊巡拝として行われたロシア慰霊巡拝の直前のことでした。
 教主から「戦没者慰霊巡拝がもうすぐ終わりますが、世界平和を実現していくには、紛争地を浄めるとか、今後も何かをしていかなければならないと思いますので、具体化できる方法がないか探してください」という指示があり、直ちに布教委員会で検討しました。
 まず世界各地の紛争地域を調べることから始めました。しかし紛争地域といっても、日本のマスコミに取り上げられている大きな紛争でさえ世界中で起こっていて、取り上げられていない地域を含めると三十か所にもなりそうだということが、調べていくにつれて分かってきました。
 これらの地に私たちが踏みいるのは難しいことだ


し、仮に踏み込めたとしても新たな紛争が次から次へと発生している現状を思うと、すべての地域を巡って、浄めて回るのは難しく、物理的にはとうてい不可能であるとの結論を出すしかありませんでした。
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 そんな回答を聞いて少し落胆したような教主の様子が、強く印象に残りました。そしてそのことは忘れられ、その後はもう少し別の目的を込めて、日本の国土の突端部分、すなわち全国各地の半島や岬に足を運んで、我が国が外国から侵略を受けることのないように祈念して回るという、神様からのご指示のまにまに、厳しい修行を自らに課すように、日程が詰まっている中で何とか時間を作って続けられました。
 その一環として平成十一年五月に高知県の足摺岬でお浄めが行われました。霧島・高千穂の教祖歌碑祭に合わせて行程を組まれたため、高知からさらに豊後水道を渡って九州に足を伸ばす途中のことでした。


 豊後水道を渡る船上で行われたお浄めと撒経の後、「道」と書かれた写経の一片が何故か教主の身に残っていたことで、「人のおる所に道あり。道を通して地球全体に行き渡らせるという思いをもって世界の五大陸に足を運び、地球始まって以来の人と人との争いの繰り返しによる、つみけがれ、怨念を浄めてまいれ」と、神様から教えていただかれたのでした。
 この突然の神の啓示を耳にした随行者たちは一様に衝撃に打たれ、驚きの声を挙げました。このような壮大な構想の祈りを神様から任されて、「五大陸お浄め」のために海外に渡航するようになって、信仰に対する誇りと喜びをより深く感じるようになった人はたくさんあると思います。
 こうして五大陸に足を運ぶという教団を挙げての一大事業を始めることになり、「道」と書かれた写経の一片を流すために立ち寄った宮崎県の美々津の海岸で、さっそく五大陸に埋める「浄めの石」を拾われたのでした。
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 以上の発端から五大陸お浄めにつながる一連の出来事は、それぞれ大事な出来事には違いないのですが、これらは私たちの生き方にさらに大切なことを教え示されていることを感じます。
 このようなお役目を自然社の私たちが頂いたのは、教団全体で世界平和の祈念を日々祈り続けてきた積み重ねが、具体的な形になって現れたからに違いありません。そして、そのきっかけは「世界平和を実現していくには、紛争地を浄めるとか、今後も何かをしていかなければならないと思う」という、教主の胸の高まりから出た一言にあったのであって、世界平和を深く希求する純粋な祈願が凝縮して、五大陸を巡る計画として現実のものになっていったものなのです。
 これは無意識の思いが神に感応して、形となって恵まれたということで、容易にあきらめない強い意志をもって祈り続けることの重要な意味を感じずにはいられません。
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 私たちの祈りや念願はいつか必ず形をとって現れ


てきます。いやこれこそ信仰者として幸せに近づく生き方なのだと思います。
 しかし私たちはこのような祈りや念願を持っても、その願いに真に他のためを思う気持ちが乏しかったり、純粋な祈りとすることが難しいため、折角の祈りが念願通り成就しないという現実もあります。
 これは祈っているつもりで、我欲のままに高望みをして適えられないものを願い続けているということになっているということかもしれません。
そこで大切なことは、私たちが信仰によって物事にとらわれないで自由に生きていけるようになったり、祈りによって念願を実現するためには、自我を去ってただただ純粋に、そして自分以外の他のために祈ることです。
 また絶対に神の恵みを信じて祈り続け、その成就については神に一切お任せして、そんな願いを祈ったことすら忘れてしまうことです。
 祈りに縁をつけるとでもいうか、自分が思う結果になることばかりとらわれていたり、あるいは難し


いからそうならないのではないかと憂えたりすることも、すべて祈りの結実の邪魔をする余計な思いとなります。
 人間生活の一切は心が元になっているのであって、そこからあらゆる行為や事象が現れてきています。こうした心の存在と働きを信じ、大きな意欲をもって、祈りの生活に明るく溌剌と生きていきたいものです。
 私たちは世界一体和の実現への大きな一歩としての大事な祈りに参画させていただきました。祈りの基となる「浄めの石」を埋めて回る行事は予定通り終わり、今後は一丸となって「五大陸お浄め」を語り継ぎ祈り続けていくという、大事な使命を日々果たしていきたいと思います。




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