今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成15年10月号
喘息
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私は幼いころからひどい喘息の持病がありました。四十年以上も辛い苦しことと思い込んで過ごしてきましたが、四十代も半ばを過ぎて、やっと「長い間苦しんだことは無駄ではなかった」と思えるようになってきました。
結婚する前、私は名古屋で繊維問屋に勤めていました。ある時、営業部長から京都で開かれる呉服の展示会に二泊三日の出張をするよう言われました。しかし、直属の上司が私の喘息を理由に「秋も深まった京都で、それも外で受付をするなんて無理だ、断った方がいい」と反対されました。
それがショックで治療中の病院へ行き、どうしても行きたい出張だということを話して院長先生に相談しました。そして三年も体質改善や、色々な治療
を受けているのに治りそうもないことなど、話しているうちに涙がこぼれてしまいました。
その時、院長先生は聴診器をはずして、色々と話をしてくださいました。その中で「二十代は努力の年」という言葉が心にいつまでも残りました。
その後、私は母に連れられて自然社へお参りをする機会がありました。それをきっかけに朝詣りに参拝してから会社に通うようになり、その当時教堂詰めだった主人に入教を勧められました。
そして「みおしえ」で、前生・前々生でも今生と同じように喘息の持病があったこと。そのために結婚もできず若くして亡くなっていること、人生をはかなんで自殺を図ったことなどを教えていただきました。
入教する前はこんな辛い日々がいつまで続くのかと思って、安楽死という言葉が目の前にちらついた
こともありました。楽になりたい、でも怖い。そんなときは、虫や小鳥などの小さな命の死に出会うと涙が込み上げていました。また夜眠ってしまうと朝目が覚めないかもしれないと思えて、夜遅くまで、日記に色々な思いを綴ったり、また明日がありますようにと祈ったりしていました。
入教後しばらくしてから、こんな自分でも何かに守られているんだと、ある事柄を通して強く実感したのを境にして、死の恐怖が少しずつ遠のいていきました。
そして結婚できて、私にとっては夢のような七人の子に恵まれ、少しずつ気持ちが楽になっている自分に気付いた今、この喘息に「感謝」という言葉を添えたいという思いがしています。
七人の子供のお陰で幅広く色々な体験をさせていただいています。良いことばかりではありませんが、「辛いことも良し」と思えてきました。
高校の時に出会った「人には、その人に応じた困難があり、自分に掛かってくる困難は必ず乗り越えることができる。その人に耐えられない事は何もない」という言葉をいつも心に置き、明るく前向きに、自分が頂いている立場にふさわしい器にならせて頂けるよう、努力精進していきたいと思っています。