今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成14年10月号
自分の足で歩く
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まだ寒い日でしたが、八十代も後半のその女性は庭で草木の手入れをしておられました。
「お元気ですね」
「お陰様で。家の中でじっとしているより、動いていた方がいいんですよ」
「足がお丈夫なんですね」
「二キロぐらいの所なら、歩いて買い物に行っています」
「それは、たいしたもんです」
「本当にありがたいことです。このごろは何でも感
謝しています。前はよく腹も立てていましたけど」
「そうですか」
「毎日長い階段を降りて新聞を取りにいきますでしょ。それを家の者が当たり前のようにして部屋に持っていってしまうんです。年寄りの私に取りに行かせて身勝手なことだと、前は腹が立ちましたけど、気持ちを切り替えることにしたんです。
毎日階段を歩くのは私のリハビリだ、いい運動だって考えましたら、全然腹が立たなくなっちゃいました」
「それはそれは」
「感謝するようにしてたら、何でもうまくいきますよ」
私はただただ恐れ入りながら、その家を辞しました。買い物袋を下げて二キロ歩かれることも驚きですが、それ以上に、心の切り替えをされて腹が立たなくなったというお話に強い感銘を受けました。
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お年を召してこられると、自分の考え方や気持ちをなかなか変えられないものだと思っていましたが、このご婦人の様子を拝見していると、そう限ったことではないようです。
年を経るほどに自分を変えていける、そういう生き方もできるのだ、と教えられた気がしました。
この方がどうして気持ちの切り替えができたのか、そのコツはどこにあるのか後で考えてみましたが、行き着いた結論は「自分の足で歩く生き方」でした。
この方は文字通り、自分の足で遠距離も階段も歩いておられるのですが、実際の足で歩くことではなく、心の姿勢についてです。つまり、必要以上に人に頼らない、自分の問題は自分で解決していくという生きる姿勢が確立しているように感じます。
他人に期待をし過ぎていると、期待に添わない相手に不足を思い続けることになります。若い者が新聞を取ってきてくれればいいのにとか、私にもっと感謝すべきだとか、人の言動に不満を抱くことになります。それは一見正しい言い分のようではありますが、他人の様子で自分の気分や感情が大きく左右されてしまっています。
人に不満を抱き、相手が変わるべきだと思っているときは、自分はこの件に関しては努力する必要がないと決め込んでいるわけで、ちょうど、自分の足で歩かずに相手に寄りかかって、前に進めと命令しているようなものでしょう。
このご婦人も、以前は家族に腹を立てていました。しかし、腹を立てたところでよい結果は得られない、不快になるだけのことだと悟られました。
相手の変化を期待することの無益に気付いた以上、後は自分でこの気持ちをなんとかするしかないと思って新聞を取りに行くことの効能に思いつかれたのだと思います。
他人は関係ない、私のリハビリだから取りに行くのだと心を決めたら、不満が消えてしまったのでしょう。
自分でできることは自分がやっていこうとする、この方の生きる姿勢が、形の上だけでなく、心の面でも生かされたわけです。
このご婦人が感謝の気持ちについて語っておられましたが、それも自立心と通じるように思います。自分でやりたいけれど残念ながら自分ではできない
、幸い人や物の助けを借りることができた、そう思った時に、感謝の気持ちは自然に湧いてくるでしょう。
初めから、これは人がやって当たり前、物があって当たり前と考えていると、感謝の気持ちは出てきようがありません。こうしてみると、自立の気持ちをしっかり持っているほど、感謝の気持ちも深くなることになります。
まず自分でやっていこうという精神が、形の面だけでなく、心の健康にも大切なことだと、このご婦人の凛とした姿が語っているように思いました。