今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成14年 5月号 

針 供 養
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十二月八日は針供養。神社やお寺で針や人形を供養する式が行われる。

 これを見ると欧米人は驚きに目を見張るという。それは、日常生活で使うモノを祈りの対象にすることは、欧米人の思想にも感覚にも全く無いことだからであるという。

 日本人は物心一如に生きており、モノは自分の働きをたすけてくれる大事な存在であり、モノに感謝することを当たり前のこととしてきた。

 モノは木や金属等が組み合わさったものにすぎないが、作った人も使った自分もモノと共にあったのであり、モノの働きを頂いて、なりわいを成り立たせてきた。



 そして、作られた時も使われてきた間も、人間の息吹をいっぱい吸い込んできたモノには、自分の働きに応えてくれる心も、生命もある。仕事の技量を磨き高める過程で、そんな共感を持つことが多かったに違いない。

 その共感がモノを慈む心となり、モノを大切に扱う暮らしを育んだ。

 こんにゃくなどに折れた針を刺して「供養」するのは、モノに対する哀惜の祈りを通して、モノによって生かされていることへの感謝を、神に捧げているのである。




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