今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成14年 4月号
鏡の中にいるのは
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一日のうちで私が私の顔を見るのは、一、二度です。もちろん鏡ですが。それも五、六分程度ではないでしょうか。
ところが…、ところがです。私の周囲にいる人は私の顔を私以上に見ているのです。
それも鏡を通してでなく私自身の顔をそのままにです。
先日の雨の日のことでした。地下鉄に乗るために階段を降りていたところ、前にいた紳士が傘を振り振り降りていくのです。
傘の雫が…私の顔に…私の服に…降りそそいできます。ムカッとしました。
その晩の夕食の時に、傘を振りながら階段を降りていった人がいたことを妻に話すと「非常識な人ね。怒って怒鳴ったんじゃないの」と言われ「怒鳴ってないよ」と言うと「でもさぞかし怒って恐い顔してたでしょうね」とやられました。
この会話中にまた思い出してムカッときたのですぐ鏡に向かってみると、恐い顔が写っていました。
日ごろ鏡に向かうのは洗顔の時とひげをそる時くらいです。
洗顔の時はまぶたの腫れたまだ眠そうな顔が写っていますし、ひげをそる時はそり残しのないようにと眼をキョロキョロさせている私の顔が映っています。
怒っている顔をこうして鏡に写してみるというこ
とは、これまで無かったように思います。「ひやあ、これが怒っている時の顔か」とつくづく思いました。
そして「こんな顔で傘を振っている人のあとから階段を降り、地下鉄に乗ったんだなあ」と思うと何だか恥ずかしい思いになりました。
時折あるのですが妻に「何かあったの」と言われます。「なんで」と聞くと「むずかしい顔をしてるもんだから」「いや何にもない、そんなにむずかしい顔をしてるか」と答えますが、心に持っている思いは、顔の表情としてそのまま出るんですよね。
怒っている時の顔は恐い顔だし、うれしいと思うことがあった時の顔は笑みを浮かべたにこにこ顔ですし。
とにかく私以上に人は私の顔を見ています。今はつくづく、あの時傘を振っている人の後をそのまま
歩かず、横によるなり、雫がかからない程度にその人との間隔を開けるなりすれば良かったんだ。そうすれば恐い顔をしなくて済んだのにと思ってます。
これからは洗顔の時やひげをそる時だけでなく、用がなくても時々は鏡の前に立って顔を映してみようと思っています。
そして、しわはあるけれど、にこにこ顔の多い自分になりたいと思っています。