今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成13年 1月号 

世相の窓
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専業主婦という言葉が定着して久しい。夫や
家族の勤めや学業や健康を支え、清潔で整頓
された家庭を作ることを生き甲斐にする女性
への尊称。専業主婦とはそういう言葉である。


 専業主婦よ胸を張って

 最近、ある専業主婦が「近ごろ毎日の生活に生きがいが感じられない、家の中に閉じこもっていると空しさを感じる」というような意味のことを言っているのを聞いたが、外に出て働く仕事を持っていない女性は、このように生活に生きがいが感じられず、日々が空しいものなのであろうか。

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 現代は女性の「個の自立」ということがしきりに言われ、女性は自立のために外に出て働くことが奨励されている。

 そして、専業主婦は「個の自立」ができず、非生産的であると見られている。このような風潮の影響を受けたのか、専業主婦の中には自分の生き方に自信を失っている人もいるようである。

 この問題に関して世の識者はどのように考えているのか、その傾向を知ろうと女性問題、家庭問題に関する本をいくつか調べてみた。

 すると、中には「家畜のような専業主婦」と言う差別的な表現をしている本すらあったりして、専業主婦はあまりよく言われていないようだ。

 専業主婦に理解を示す意見の本もあるにはあるが、一般的にいわゆる
「進歩的」と言われている人たちの書かれた本は専


業主婦の存在に対して否定的である。

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 ここで問題を整理して考えてみよう。

 一つは「専業主婦は個の自立ができないか」という問題で、もう一つは「専業主婦は非生産的か」という問題である。

 専業主婦は個の自立ができないかという問題であるが、進歩的な人たちの言われる「個の自立」という考え方の根底には、家庭という集団の存在や家族のつながりを軽んじ、個人を何よりも優先する思想があるように思われる。

 しかしながら、個人が、例えば家族のような周囲の人たちから切り離されて生きていくことはできない。

 現実の我々の生活は家族の中で役割分担をしつつ


、互いに助け合って生きているのではないのだろうか。

 また最近「自己実現」ということがよく言われている。

 進歩的な人たちは、女性は家庭の外に出て働くことによって自己実現がなされると主張している。

 自己実現とは元来は心理学から来た言葉で、我々個人の心の深層に隠れている可能性を引き出して、それを実現させることによって、人生を豊かにすることを意味するのであるが、外に出て働かなければ自己実現はできないのであろうか。

 家族という集団の中で家事という、炊事、洗濯、掃除を行ったり子育てをする仕事を担うことの中でも自己実現は可能なのではないのか。

 専業主婦は世の中の風潮に左右されず、このこと


を自分の問題として真剣に考えてみる必要があると思う。

 家事は多種の仕事を組み合わせて行うため、かなり高度なマネジメントの能力を要求される。

 形の上から見れば実務のほとんどは肉体労働で、いいかげんにやれば手抜きできるかもしれないが、勉強し、工夫を重ねればより高度に生活の質を上げることが可能である。

 家事に真剣に取り組むことの中から、女性としての生きがいを感じることもできるし、自己実現も十分に達成できるのではないか。

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 ここで男性と女性の「はたらき」の相違について考えてみる必要がある。

 我々は人間の存在を、空間的(形や姿)に見てい


ることが多いが、人間が人間として存在しているということは、実は人間としての「はたらき」をしているということで、人間に男性と女性という性別があるということは、男性には男性として、また女性には女性として、それぞれに異った「はたらき」が存在するということである。

 この「はたらき」の相違は差別ではなく、人間としては両性は平等である。

 「はたらき」の相違の最も顕著なものは、子供を生む「はたらき」であり、この「はたらき」は女性にしかなく、男性にはない。

 相異る男性と女性の「はたらき」の実質はいかなるものかというと、一言にして言えば男性は能動(働きかける「はたらき」)、女性は受動(働きかけを受けて物事を生み出す「はたらき」)の関係にある。


 この能動と受動の関係は優劣でも上下でもなく、「はたらき」の性質の違いである。

 人間は過去の歴史において、つい近年まで男性は女性よりも優れているという誤った考えを持っていた。

 これは前述したような両性の「はたらき」の相違を優劣と考えていた誤りである。言うまでもなく、これを是正するのは当然のことである。

 しかし、最近はその是正の方向を誤ってしまい、平等、平等と言い過ぎ、男性と女性の本質的な「はたらき」の相違までも無視して、形の上から何でも同じにすればよいというような、間違った方向へ進んでいるようである。

 これは物事をその本質から考えないで、形の上からしか考えないという誤りが原因である。


 その一例として、女性が外に出て働くことは大いに結構なことであるが、これが行き過ぎて、家庭内にいて主婦の仕事に専念することは、人間として無能であり怠惰であるかのように言う風潮は明らかに間違いである。

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 次に専業主婦は非生産的かという問題であるが、生産的であるということは、自分以外の周囲の人間にいかに貢献しているか、ということである。

 仕事を持って働いている女性は言うまでもなく世の中に貢献しているが、専業主婦は果たして世の中に貢献していないのだろうか。

 ここでも人間の「はたらき」というものを形の上からしか考えていない誤りに気付く必要がある。

 主婦の仕事は直接的には収入に結びつかないが、前述したように家族のために炊事、洗濯、掃除を行


ったり子育てをする仕事を通して夫の「はたらき」を陰から支えている。

 美しい建物も堅牢な建築物も、その目に見える部分だけで成り立っているのではない。目に見えない地下にこれをしっかりと支えている基礎がある。

 主婦の「はたらき」はこの基礎の「はたらき」である。非生産的どころか、極めて生産的なものである。

 もしこれが脆弱なものであったら、夫を含め家族の「はたらき」は壊滅的である。

 陰から支える「はたらき」は、家族や周辺の利害を調整しながら家庭を運営していく仕事であるから、相当な努力と忍耐を必要とする。場合によっては外に出て働く以上に大変であり、本来怠惰な人間に勤まる仕事ではない。


 生きがいは、目の前の仕事の質を向上させようとする努力の中に自然と生まれてくるものである。

 専業主婦はもっと自分の仕事を大切に思い、自分の立場に自信を持って、誤った風潮に惑わされずに、毎日の仕事にさらに工夫と研鑽を重ね、胸を張って堂々と生きていってほしいと思う。




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