今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成12年11月号
仕事を大切にする
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ある教堂の広間で、何人かの人が、大きな机を囲んで行事予定表などを三つ折りにして、発送の準備をしておられた。
若い人の作業は見るからに素早く、数枚ごとにまとめて折るなどして、やり方も合理的だった。
しかし、隣の年輩の人はゆっくりと丁寧に一枚ずつ折っておられた。ふだんは手先が器用で、何でも手際よく仕事をこなす人なのにと、不思議に感じられた。
そのうち一人の婦人が一枚ずつ折るのは面倒だから、十枚ぐらいを一度に重ねて「私の大きいお尻で、下敷きにすれば早く折れるかもしれないわねえ」と冗談交じりに言われた。
すると年輩の人が「そんなことをしたら、せっかくの記事や心を込めて折ったことが台無しになってしまう」と答えられた。
そのやり取りを聞いていた若い人は、早く用紙が折れることを少し得意げに思っていたことを恥ずかしく感じたという。
年輩の人は、記事の内容が相手の心に届くようにと、真心を込めて折っておられたに違いない。仕事内容や事柄によっては、合理的でただ早ければいいというものではないこともあると若い人は悟られた。
この話を、先輩から伺って感銘を受け、それからは、私は特に各種の案内書や予定表などを折り込んで発送する時には、気持ち良く読んでいただき、内容がよく伝わりますようにと心を込めるようにした。
そのような心構えでしていると、用紙の角はきっちり揃えて折り、封筒に入れて封をする時にもセロテープが丁度良い長さで曲がらないようにし、切手も傾かないように張るということが、自然にできるようになった。
案内書などを一生懸命書いたとしても、肝心な最後の仕上げがいい加減になったのでは、仕事の完成度を低くしてしまう。簡単な作業とはいえ発送も大事な仕事なのだ。
どんな文書や書物も完成にこぎつけるまでには、執筆・編集・印刷・製本と、実に多くの人の労力が込められている。
このような事に思いを至すと、最後の段階になって、いい加減な発送の仕方をしたのでは、それまでの多くの人の働きを粗末にするような気がしてくる。
たとえ作業は単純であっても、とても大切な仕事というものがある。そんな心がけで仕事を続けていくと、他のことでも気付くことが出てくる。
例えば、手元に届けられる企業からの案内書などを見て、考えさせられることがあった。かつては一流とされる企業からの案内書は角を揃えて折ってあり、切手も曲がってなかった。そんなところにも一流の誇りを感じた。
しかしある企業からのそれは角がずれて切手も曲がっていた。それも一度や二度ではなかった。もっともこれは一昔前の話で、今は発送の代行業者が、機械折りしているところが多いと聞くので、事情は変わってきている。
案内書の発送がきっちりできていなかったころの自分を振り返ると、それだけではなかったことに気付く。文具は使いっぱなし、道具は出しっぱなし、
机の上も灰皿も汚れ、ドアもきっちり閉めていたかどうか。また、忘れ物やつまらない失敗も多かったように思う。
だから、簡単で単純な事でもよいから、何か一つでもきっちりと行うことを習慣づけて、それを何年も続けていったら、仕事に対する姿勢も、人間として生きる姿勢も変わってくるはずだ。
一事が万事という言葉は、往々にして悪いことに使われる。しかし、これは良いことにも通じるはずだ。
きっちりした良い習慣が一つでもついたら、日常生活のすべてにおいて、それが現れてくるに違いない。
仕事を大切に思うということは、自分のことに止まらず、物や他人の働きをも大切にすることにつながる。
それには、仕事や責任の大小にかかわらず、最後の締めくくりを大切にして、「一つの仕事を成し遂げるまで気を抜かない」という習慣を、きっちり身に付けることが大事であると思っている。