今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成12年10月号 

人を大切にする
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 「自分を大切にする」ということがよく言われます。とても魅力的な言葉です。自分という尊い存在を大事に思い大切に扱うのは、人間として当然のことです。

 しかし、この言葉は一面、身勝手な生き方を容認しているようにも受け取られがちです。そして、周囲のことを配慮していると、自分を粗末にすることになりはしないか、という迷いの原因にもなっているようです。

 そこで自分を大切にするということの意味を考えてみたいと思います。 それに当たってまず自分と周囲との関わりについて述べなければなりません。


 私たちは通常、自分と周囲とは全く別のものと受け止めています。しかし子細に眺めると、そうはっきりと分けられるものでないことが分かってきます。

 例えば体のことを考えてみましょう。鼻の中にある空気や肺の中の空気は、自分なのか周囲なのか。口の中、胃の中の食べ物はどうなのか。

 それをどこかの線ではっきり分けたとしても、それはただ瞬間の説明をしただけのことです。十秒前は空気であった酸素が、もう体内のヘモグロビンに取り込まれていますし、昨日海を泳いでいた魚が、今日は私の血肉になっています。

 時間を考慮したときには、私の肉体と環境は切っても切れない、一つのつながりにあることが分かります。

 環境を粗末にすることはよそ事ではなく、そのま


ま自分の体を粗末にすることだと知らなければなりません。

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 心の問題、人間関係の問題についてはどうでしょう。

 これについても普通は、自分と他者は全く別の個体と考えられ、全く独立しているようなイメージを持たれています。

 それは、心が目に見えないために、体と一つになって存在しているように思われているからです。しかし実際は形を持たない分、より一層周囲と大きくつながっています。

 家族に例を取ってみると、だれかが病気になったときは自分のことのように悩み苦しみますし、家族のだれかが活躍すれば大きな喜びを感じます。


 あるいは、家族のだれかに不満を思うと相手も自分に不満を抱き、互いに大きく傷付け合い、家庭全体が暗い雰囲気になります。

 このように体以上に心は周囲と大きく重なり合い、影響を与え合っています。ですから「自分を大切にする」ことを考える上で、周囲の人のことを抜きにしては考えられないのです。

 「自分を大切にする」と称して我がままを通し、周囲の人に大きな迷惑を掛けたとすると、それはやがて自分の苦しみとなって返ってきます。社会生活においても、周囲を粗末にすることは自分を粗末にすることになるのです。

 人を大切にする気持ちを強く持ち、それを実践していくことにこそ、自分を大切にする生き方があるのです。

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 近年「愛」という言葉が頻繁に使われています。しかし中には「愛」と称して自分の身勝手な欲望を正当化しているものが見られます。私たち人間が大事にしなければならないのは、慈愛という愛に違いありません。

 聖書が日本語に初めて翻訳された時、「愛」は「大切にする」と訳されたそうです。随分間延びした表現だと思ったのですが、改めて考えてみると、単なるイメージや思い込みではなく、実践を伴ったとてもよい訳だと思えるのです。

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 一方、人の思惑を気にし過ぎて、不本意に自分の意思を曲げたり、自分が持っている力を自分で押さえ込んだりすることがあります。

 これは決して「人を大切に」していることにはなりません。このようなときは、もっと自分らしさを発揮することを目指す必要があります。こんな時こ


そ「自分を大切に」するという意識をはっきり持たなければなりません。

 「人を大切にして」自分を殺しているように思い込んでいるかもしれませんが、実は自分の身の安全にばかり心が向いて、周りの人のことや全体の利益を考えていないことが多いのです。

 これは人を大切にしているのではなく、自分も他人も粗末にしていることに他なりません。

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 自分の心身は神様が現されたものです。そして周囲の人や物もやはり神様が現され、しかも自分のために引き合わせてくださったものです。

 そのいずれをも尊び大切にすることこそ、神慮にかなった生き方であり、幸福に恵まれていく道だと知りましょう。




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