今月の言葉 > 自然誌 文章から > 平成12年 8月号
気付いたことは
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気付いた事を安易に見過ごしていると
何も感じない心となっていく
一か月100円で小型で強力なモーターを備えた掃除機をお貸ししています。蓄電式でコードもなく、どこでも使えて、使い回しが便利です、お宅もいかがですか。
スマートなデザインの掃除機をこんな風に勧められて借りることになりました。
なるほど便利です。机の上などで使う小さな携帯式ではなく、立った姿勢で使うように丈が高いので、お菓子やパンのくずを床にこぼしたときとか、隅っこにほこりがたまったときとか、机の下がどうもほこりっぽいというようなときなど、実に便利です
。
便利すぎてこればかり使いたくなることもあります。階段のほこりを吸い取るのにも、やはりこの掃除機が小回りが利いていいのですが、階段の掃除を終わって踊り場から部屋へと広い場所に移ってからも、そのまま使い続けてしまうのです。
強力なモーターといっても蓄電式ですから、コードの付いた普通の掃除機ほど強力なわけではありませんし、広い場所で使い続けたら蓄電池もモーターも早くへたってしまうかも知れません。
そんなことを考え合わせると、他の掃除機では狭くて使いにくい所を終わったら、そこでお役ごめんにしてやって、広い所は普通の掃除機に変えた方がいいに決まっています。しかしそれをついつい怠ってしまうのです。
広い場所で使い続けたからといって、すぐにダメ
になるようなヤワなものではないと思いますが、掃除機ではなく、使っているこちらの方が、どこかダメになっていくのではないか、というおそれを感じるのです。
まず、状況に合わせてこまめに対応を変える、という判断力や、実行力に影響しないでしょうか。
いや、もちろん大げさに考え過ぎているとは思います。でも「ええい面倒くさい!」と思ってやり過ごしてしまう気持ちは、今やった分だけは、心の働きとして自分の中に蓄積されていくと思うのです。
もしこれが、ここで掃除機を換えるべきだと気が付いているのにそうしなかったのなら、気が付いても実行しないという、自分の注意力をダメにしてしまう行為を、自らやってしまったということにならないでしょうか。
いや、大げさに考え過ぎているとは思います。でも、これは事柄としては小さなことですが、中身は「横着な気持ちを育てている」ということになると思うのです。
もしこの行為が、注意力に影響してくるとすると、この次に同じことをやった時には、面倒くさくてズルをしていることに、今回のようには気付けなくなるでしょう。
気付いても改めないという行為を積み重ねていると、何かを感じても反応も対応もできない人間になっていくのではないか。
そしてしまいには、何にも感じられない人になっていってしまうのではないか…と、恐ろしい気持ちがしてくるのです。いや、ここまで想像するとあまりに大げさになりますよね。
この前、人との約束をポッカリ忘れていて、直前
になって思い出したことがありました。「あ、今日だった」間には合いましたが独り冷や汗を流していました。
いつもはちゃんとやっているのに、大事な時に資料の数字や文字を間違えて、大迷惑を掛けたというようなことがないでしょうか。
そういう失敗の陰には、ふだんの、ほんのちょっとしたこと、日常生活の取り立てて言うほどでもないような(つまり掃除機を使い分けるのを面倒がるような)ことを、それとは気付かないで、いい加減にやってしまっているようなことがあると思うのです。
これは大げさに言っているのではなくて、必ずあると思います。
失敗は偶然起こるのではなく、少しくらいはいいだろうと思う甘え心や、いい加減なことを自分に許
している怠け心や、横着な気持ちなど、自分を易きに置いてやってきた様々な積み重ねが、縁にふれて出てきた。いちばん困るところに、出てきたら困る時に出る。それが失敗だと思うのです。
でも失敗は、自分の姿をキチンと振り返って「気付かせてもらったことを受け入れられる、素直な生き方を目指していきなさい」ということで現していただいていることなのですから、悔やんでいたんじゃ、折角の神様のご厚意を生かすことはできませんよね。