今月の言葉 > 自然誌 巻頭文から > 平成30年04月号

苦痛と体験の意味
   教主 橋本のり子
   


 例えば野球の技術について解説された本を読んで、ボールの打ち方や投げ方を学んだとします。知識として理解しますが、すぐに本に書かれている通りのことができるかと言いますと、ほとんどの場合無理ではないかと思います。
 実際にボールを投げたり打ったりして、自分はどれぐらいできていないかを理解し、どうすれば良いかを考えて、実際に体を使って努力を重ね練習して身に付けていくはずです。
 そこで肉体的や精神的な苦痛を抱えた際、信仰をしている私たちは、幸いにも御(ご)替(たい)象(しょう)を願い「みおしえ」を頂いて、苦痛の原因と今後の生き方を教示いただきます。
 ただし、それは苦痛の意味や原因を「知った」だけで、例えば憂い心に原因がある場合、自分がどれ


くらい憂い心が強いかは、教えられたことを生活の中で悩んだり苦しんだりする体験を通して、その原因である自分の心癖を自覚していけるのです。
 そしてその体験によって、教えられたことが正しかったと分かっていくことで、教えに対しての信念が深まっていくのです。
 自分が日常の生活の中で体を使って体験をしていくことによって、信仰は深まっていきます。人生における苦痛と体験の意味はそこにあるのです。




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