今月の言葉 > 自然誌 巻頭文から > 平成27年04月号

教えを頂く心
   教主 橋本のり子
   


 信仰をしようとして教えを聞いている人の中に、数は少ないのですが教えの内容やその教団の行事や布教のやり方など、自分に納得できることは受け入れるが、そう思えないことは受け入れるのに何となく抵抗を感じている人もおられるようです。  
 これは、その本人はハッキリと意識していない場合が多いのですが、自分が妥当だと思って受け入れたり、そう思わずに受け入れなかったりする判断の基準は何かと申しますと、その人がその時までに知り得た知識や経験である場合が多いようです。即ち、その時点までに学んだ事柄や自分自身の様々な体験、即ちそれまでの人生で身につけたものが無意識の内に信念となっている場合があるのです。
 自分では信仰をしているように思っていても、信仰とは違う、自分の既存のものの考え方で気付かな


いうちに取捨選択していることがあります。これでは決して教えも分からず身につかず、幸せにも恵まれないことになります。
 本当の信仰とは自分の今までの知識や考え方の一切を白紙にして、教えを素直に頂いていこうとする純粋な心になることです。
 求道心の本来の姿は、何かを得ようとする心ですが、それは同時に一切を捨てて白紙になって神に帰(き)依(え)する心を言うのです。 




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