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平成二六年
今年はどういう年になるか
年間を通じて心得るべきこと
教祖年祭 教主御親教 要旨
平成二六年二月四日〜平成二七年二月三日迄
初心に気持ちを戻して、やり直しをしていく年

 今年はどういう年になるか書いてきましたので、申し上げたいと思います。
 今年は、信仰に初めて縁を頂いた時の初心に気持ちを戻して、やり直しをしていく年である、と。
 いつもは、今年はこういう年ですと世間一般にも通用する内容なのですが、今年に限り、50回大祭を終えて一人一人が新しくスタートを切るに当たって、信徒である私たちはどういう風にして信仰をしていく年であるかということを教えて頂いております。
 新しく信仰の第一歩を踏み出すという基本に立ち返り、初めて教えに接して驚いたこと、また体験したこと、そして不思議という感動をもう一回思い出


してほしいのです。
 産まれた時から親が自然社の信徒で、気が付いたらいつの間にか信徒になっていたという人でも、初めて「みおしえ」を頂いた時のこと、御替象を教えて頂いて解決したことなど、それぞれ驚きと感動と初めての体験があるはずです。
 私は結婚してから、初めて御替象や「みおしえ」を知って、不思議に思いました。そんなことってあるのかと。
 それをもう一回呼び起こしていく年なのです。謙虚になって頂き直しをする年です。
 いつの間にか初めを忘れてしまい、お恵みを頂くのが当たり前、治って当たり前となってきて、謙虚でなくなってくるのです。「みおしえ」を頂いても、自分に都合の良い所だけを頂いて、都合の悪い所は流してしまう、それでは駄目なのです。
 ですから、50回大祭を機会に基本に立ち返って、初めて教えに接した時の驚き、体験、そして不思議を覚えた感動を思い出して、信仰に対する慣れを全くなくして、謙虚になって頂き直しをする年です



 新鮮な思いで、感動を頂ける自分になって信仰精進をしていく。一人一人新しい気持ちになって、もう一回信仰をやり直すということを心に誓ってください。
 具体的には、「みおしえ」で教えていただいた事について、守るではなくて気付く信仰です。例えば、癇癪を起こさない短気にならないという守る思いではなくて、短気や癇癪を出した時に気付くことです。守る信仰ではなくて気付くという信仰をするということを、心にはっきりと決めて精進していきましょう。
 これを皆様にお願いすると共に、私もそうしていこうと決意しています。
 昨年は「地固めに励む」という信仰実行目標でした。その地固めがあってこそ、初心になって信仰のやり直しをするというスタートラインに立つことができたのであって、私は大変ありがたく思っております。
 年ごとの信仰実行目標を一層重いものに頂いて、


それに向けての一年の信仰こそ重要と思います。謙虚になって気付く信仰に励んで人生をより意義あるものにしていきたく願います。
     ○
 今年はこれだけを教えていただきました。非常に短いですが、とても大切なことです。 100回大祭の時に現役で生きている若者たちのために、今信仰をしている私たちが初心に返る必要があるのです。小さな歪みが先に行くと大きな歪みになります。
 教祖が説かれた世の中の理、真理に対する頂き方の頂く角度が歪んでしまって、100年経って1センチ歪んだら、200年目には2センチの歪み、最後は元から見たらとんでもない枠から外れたところに行ってしまいます。
 今年はその方向を定める大事な年です。仕切り直しをして100年に向けて歪みのない教えを伝えて、世の中の理に従って生きる人を一人でも世の中に多く残していくことが、私たちの肩に掛かっているのです。


 基本に立ち返り、少し歪んでいたものを元に戻して仕切り直しをしていく、大事な有り難い一年であるということを忘れないでほしいと思います。
 もう一回申し上げます。
 信仰に初めて縁をいただいた時の初心に気持ちを戻してやり直しをしていく年である。新しく信仰の第一歩を踏み出すという基本に立ち返り、初めて教えに接した時の、驚き体験そして不思議を覚え、感動という信仰に対する慣れを全くなくして謙虚になって、頂き直しをする年であります。
 新鮮な思いで感動を頂ける自分になって信仰精進をしていくと心に誓って、具体的には「みおしえ」で教えられた事について、守るのではなく気付くという信仰をするという心をはっきりと決めて精進していきます。
 地固めに励むという地固めがあってこその今年の初心になっての信仰のやり直しのスタートに立つことができるその時が頂けたということを私は大変ありがたく思っております。
 年ごとの、信仰実行目標を一層重要なもの、重い


ものとして頂いて、それに向けての一年の信仰こそ重要と思います。謙虚になって気付く信仰に励んで、やり直しのきかないたった1回の人生をより意義あるものにしていきたいと願っております。
 50回大祭を終え、新たな51年目のこの年、百年、二百年、千年まで続く上での大事な時を信徒として今生きているという責任を持ちましょう。
 自分だけの信仰ではない、将来の自然社の教え子たちがどういうことになるかという、大事なものを肩に背負っているということを感じて、もう一回やり直しをして、謙虚になって信仰していっていただきたいと思います。