水子の祠
胎児は母体を通じて神様とつながっています。流産や中絶によってそのつながりを絶ってしまったことは、胎児の霊魂を未完成のまま葬り去ったということでになります。
せっかく授かった胎児を、色々な事情で産むことができなかった親の気持ちは、周りには分からない深い悲しみがあり、そのようなことになったことを悔やんだり、自分を責めたりする気持ちになりがちてす。
しかしそのような気持ちに流されていては、水子の霊が救われていくためには、なんの力にもなれません。
水子の霊は、どんな事情があったにせよ、親によってつくられたものです。
この事実をはっきり認めることから、水子の霊に対する親にしかできない、やさしく力強い祈りができるようになり、そこから親自身が救われていく道が開けてくるのです。
自然社における水子慰霊祭では、そういう意味の祈りを捧げて、水子の霊を供養しています。
そして、この式典では、二度と自分の都合で中絶をするような、過ちをおかさないことお誓いします。